あらすじ
彼女を「救った」人間は何人もいた。けれど彼女の名前を知っている人間は、一人もいなかった。
勇者ユリウスは奴隷市場で鎖に繋がれた少女を金貨十枚で買い、「もう大丈夫だ」と微笑んだ。世間はそれを美談と呼んだ。だが異世界に転生した元東京地検の検事・橘蓮司は、それを人身売買だと断じる。
善意だろうが対価を払って人を譲り受ければ売買である——法制局の末席書記官として、蓮司は勇者を王宮の裁定の場に引きずり出す。廷臣は反発し、騎士団は激昂し、味方は誰もいない。それでも蓮司は一つの事実を突きつける。「この国の奴隷台帳には、名前を書く欄すらない」と。
だが法の正しさを振りかざす蓮司自身もまた、あることに気づいていなかった。勇者も、商人も、裁定官も、そして自分も——誰一人として、少女本人に「どうしたい?」と聞いていないことに。
これは、法律で世界を正す話ではない。一人の少女が、自分の名前で看板を出すまでの話だ。