あらすじ
「アニエス。単刀直入に言おう。……君との婚約を破棄する」
アニエスは、持っていたティーカップを音もなくソーサーに置いた。
驚きはない。悲しみもない。ただ、脳裏に浮かんだのは「今日の夕食は何かしら」という程度の、あまりにも日常的な思考だった。
「理由は聞くまでもないだろう。僕には、真実の愛を誓った女性ができた。リリィ男爵令嬢だ。彼女は君のように鉄面皮で事務的な女とは違う。僕の心に寄り添い、優しく癒やしてくれる……」
ヴィクトールの傍らで、ピンク色の髪を揺らした男爵令嬢が、いかにも勝ち誇ったようにアニエスを見つめている。
アニエスはこの十年間、彼のために生きてきた。
王太子としてのイメージ戦略、予算の計算、無愛想な彼に代わっての貴族たちへの根回し。すべては彼を完璧な王にするためだ。
(ああ、そう。……やっと、終わるのね)
アニエスの心に、十年分の疲れがどっと押し寄せ、そして霧散した。
彼女は、まるで重い荷物を下ろした旅人のような、晴れやかな笑みを浮かべた。
「承知いたしました、ヴィクトール殿下。そのお申し出、謹んでお受けいたしますわ」