あらすじ
私はこれまで何度もスマホを壊してしまった過去がある。その都度、修理屋の方に直してもらった。だが今度はそうもいかず、気分が悪くなってしまった。しかし、その感情に流されることは何の意味もない。スマホはもう壊れているのだ。
確かに緊急事態でスマホが命を救うことはあるだろう。スマホを操作する余裕がある状況下ならば。確かに親族の訃報を即座に知ることができるだろう。しかしそれはいずれ待てば手紙などが来るはずだ。面白いゲームや動画を見ることができない。それは面白い美術品や思索に向かう機会ともなりうる。AppleやGoogleのスマホによる支配は、凡人にはもう分からない。スマホの故障は、それらの支配からいつの間にか脱していることと等しく、私はこう書いていてもなお実感がわかないでいる。
スマホが無い人は生きていけないのだろうか。パソコンやクレジットカードや現金、キャッシュカードはあるし、完全に孤独になったわけでもないし、食料が枯渇しているわけでもなければ大病を患ったわけでもないのに、スマホが無いだけで気分が悪くなるというのは一種の公害だろう。