あらすじ

信濃の山々は春の兆しを孕みながらも、谷あいを渡る風は鋭く、吹き下ろすたびに村の屋根の粉雪をさらっていく。 三澤家は信濃の片隅に根を張る小さな地侍であった。田畑をわずかに持ち、村の争いごとを治める程度の力しかない。だが、武士とはどれほど小さくとも武士である。戦が起これば槍を取り、鎧を着け、主家の旗の下に馳せ参じる──それがこの国の掟であった。 彼らはもとは越後の上杉家に仕えた足軽であり、幾度かの戦功によって「竹に雀」の家紋を賜った。だが、謙信が病没し、上杉家中が揺らぐと、彼らの運命もまた大きく流れを変える。混乱の中で主家を失った彼らは越後を離れ、信濃へと落ち延び、そこで勢力を拡大していた武田家の軍勢に加わる事となる。 しかし、武田家もまた天正十年に滅びる。主家を再び失った三澤家は、信濃に残った多くの旧武田家臣と同じく、上田の真田昌幸のもとへ身を寄せた。昌幸は旧武田家臣を積極的に登用し、三澤家もその一角として再び槍を取ることになる。 やがて慶長五年、関ヶ原の戦いが迫る。真田昌幸・信繁(幸村)は西軍に与し、三澤家もその旗の下に従軍した。天下分け目の戦いは東軍の勝利に終わり、真田勢は敗残の身となる。三澤家の若者たちもまた、信濃の山中へと逃げ延びることになった。 戦は武士にとって宿命のようなものだが、敗走はさらに深い影を落とす。三澤家の者たちは信濃の山中を抜けて逃げた。追手は容赦なく、山道には血の跡が点々と残った。 三澤家の本家筋は松本の北深志に身を潜めることを選んだ。山に囲まれたその地は、敗者が生き延びるには都合がよかった。武士の名を捨て町人として生きることは誇りを削るような痛みを伴ったが、生きるためには仕方がなかった。 やがて彼らは和菓子を商うようになり、屋号を「丸傳」とした。武士の名乗りである「傳」を残したのは、せめてもの矜持であったのだろう。家紋はかつて上杉家より賜った竹に雀の紋を、武田家に落ちたあとも引き続き守り、真田家に加わったあとも守り続けていた。敗者が新しい土地で生きるためには過去を隠すことも術であったが、彼らは頑なにそれを守り続けた。 松本の町に根を張り、蔵を二つ構え、やがて名望家としての顔を持つようになった三澤家の歴史は、戦の敗北から始まっている。その影は四百年を経た今も、家のどこかに薄く残っている。

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エブリスタ2026/04/15
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