あらすじ
あの夜のことは、今でも正確に思い出せる。
カウンターに並ぶボトルの琥珀色、グラスを磨く自分の手の動き、BGMさえ静かに聞こえる店内。客が途切れた深夜、マスターはふいに口を開いた。まるで、ずっとそこに溜めておいた言葉が、ある一定の重さを超えてこぼれ落ちたように。
「アメリカにいたころ、一人、妙な男と知り合ってね」
Kというその男のことを、私はこの手記に記しておきたいと思う。コーカサス出身。幼少期の記録はほとんど存在しない。ただ確かなのは、彼がある時点でアメリカ海軍に身を置き、やがてDEVGRU——対テロ特殊作戦の頂点に位置するその部隊——に選抜されたという事実だ。
マスターが語ったKは、英雄でも怪物でもなかった。むしろ静かな男だった。人を笑わせることが上手く、バーボンより地元の安ワインを好み、任務のことを自分から話すことは決してなかった。
それが一度だけ、崩れた。
ある極秘任務の最中、Kはテロリストの拠点で「あってはならないもの」を目にした。マスターはその中身を、最後まで明かさなかった。ただ一言だけ言った。
「あいつが怖かったのは、銃じゃなかった。見てしまったことで、自分が何かの台帳に載った気がした、って」
私はグラスを拭く手を止めてしまった。その言葉の意味を、今もまだ咀嚼している。
Kはその後、軍を去った。理由は記録されていない。