あらすじ

医学部4年の神田蒼は、臨床実習が始まる前の夏、学費の足しにと旧市街にある小さな診療所でアルバイトを始める。そこで毎週決まった曜日に現れる老人・橘道夫と出会う。 橘は診察を受けるわけでもなく、ただ待合室に座って古い医学書を読んでいる。蒼が声をかけると、老人は静かにこう言った。 「あの大学病院には、記録に残っていない患者がいる」 最初は老人の妄言だと思っていた蒼だったが、やがて大学の解剖学実習で使われた献体の台帳に、名前と死亡年が一致しない不審な記録があることに気づく。それを指摘した途端、担当教員の態度が豹変した。 ちょうどその頃、大学祭の準備で文学部の浅野葵と知り合った蒼は、彼女が「大学の創立前後の歴史を大学祭で展示したい」と古い文書を調べていることを知る。その文書の中に、橘道夫という名前が出てきた——昭和40年代、この大学病院で「実験的な臨床試験」に関わった人物として。 蒼は幼なじみの文乃、プライドと葛藤を抱えた三上を巻き込み、断片的な記録を辿り始める。調べるほどに浮かび上がるのは、大学病院が輝かしい実績を積み上げてきた裏側にあるある時代の患者たちの沈黙——そして橘老人が何十年もかけてその記録を「誰かに見つけてほしかった」という事実だった。 ミステリーよりも、これは記憶の物語だ。名前も残らなかった人たちに、どう向き合うか。白衣を着る前の自分たちに、医師になることの意味を突きつけてくる。 大学祭の夜、橘老人が蒼に渡した一冊の古いノートには——患者としての視点で綴られた、ある医師との50年前の記録があった。

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小説を読もう2026/03/19
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