あらすじ
紙漉きの里に暮らす澪は、山で亡くなった兄・律へ宛てた手紙を何通も書き溜めていた。封をしても宛名がない。届けられないままの言葉が胸の棘になっていたからだ。
春の境目、3月18日の「精霊(しょうりょう)の日」。婆さまに導かれた澪は、今夜だけ開く川原の焚き場へ向かう。注連縄の内側で待っていた火守・朧は言う。「焚くのは手紙。供えるのは本心だ」。嘘や他人を縛る言葉、相手を戻したい言葉は燃え残り、渡せないのだと。
澪は書けなかった最後の一行に向き合う。冷たく突き放したのは強がりだった。「呼び止めてほしかった。……でも呼び止めるのは私だった」。その言の葉を添えて手紙を焚くと、文字は淡い光の葉となってほどけ、風に乗って“しょうりょうの道”へ流れていく。澪は兄の声ではなく、癖や温度のような気配に見送られ、胸の棘が少し抜けるのを感じる。
だが火には、燃え残った紙片が落ちていた。『戻ってきて』。重すぎる言葉は渡せないと朧は告げる。澪はそれを「私はここから歩く」と言い換え、もう一度焚く。
家へ戻った澪は、母に自然に言える。
「ただいま」
燃えたのは文字で、残ったのは明日。春の境目の夜が、澪の歩き出しになる。