あらすじ
満月の夜になると、私は時々、実家の屋上に上がる。
古い手すり、少し錆びた物干し台、頬を撫でる夜風。ここは昔から何も変わらない場所だ。
月を見上げるたび、思い出す夜がある。
十歳の頃、ピアノが嫌いになりかけていた私の前で、父がふらりと言った。
「パパな、一曲だけピアノ弾けるんだぞ」
太くて短い父の指が奏でたのは「月の砂漠」。
少し音を間違えながらも、やさしく響く旋律だった。
あれから年月が流れ、父はもういない。
それでも満月の夜、屋上に立つと、あの不器用であたたかな音が、今もどこかで聞こえる気がする。