あらすじ
情報系大学に通う二十歳の田中は、ホスト狂いの母が作った借金と学費に追われていた。ある夜、Torでダークウェブの匿名掲示板を閲覧していた田中は、一行の書き込みを発見する。「5億円を送金する。仮想通貨の受け取りアドレスを送れ。ただし、その瞬間、あなたを殺す宿命を持つ子供がどこかに生まれる」。
名前も顔も居場所も不明。わかるのは誕生日だけ。田中は計算した。その日、世界では38万人の子供が生まれる。宿命の子が日本にたどり着き、自分を殺す確率は天文学的に低い。5億あれば生活が変わる。田中はアドレスを送信した。着金と同時に一行が届いた。「本日、宿命を担う子が生まれました」。田中は誕生日を手帳に書き込んだ。
家族の問題は解決した。計算は今も正しいはずだった。しかし自転車に接触されそうになるたびに相手の誕生日を確認した。職場の同僚が背後に立つたびに生年月日を調べた。確認するたびに違った。計算通りだった。それでも次の誰かを疑った。死は確率の問題のはずだったのに、田中の日常はいつしか全員がキラー候補である世界に変わっていた。
宿命の子が十八歳になった頃、田中はダークウェブで過去に同じ取引をした人間の記録を探した。全員死んでいた。事故、病気、自殺。不自然ではない死ばかりだった。送信した夜、田中には実感がなかった。その実感が今、確かなものとして輪郭を持ち始めていた。
そしてある静かな一日が来た。何も起きなかった。自転車も来ない、背後に人もいない。穏やかな秋の夕方、田中の子供が友人を連れて帰ってきた。見覚えのある顔だった。いつからいただろう、と田中は思った。
田中の意識は静かに途切れた。何でもない日だった。