あらすじ
目 次
序
一、趙佗の死
二、陵墓秘匿
三、趙始と絹海道
四、呉楚七国の乱
五、二代目趙胡
六、歌舞曲『四海兄弟』
七、三代目趙嬰斎
八、樛姫の誤算
九、第四代趙興
十、番禺落城
十一、一族配流
十二、後主趙建徳
十三、南越王陵墓
梗 概
いまから二千三百年前、中国南方の嶺南と呼ばれる地域に、南越国という王国があった。いまの広東・広西・海南、さらにベトナム北部をふくむ広大な領域を支配していた。
中原を統一した秦の始皇帝は五十万の大軍を動員し、嶺南を征略、統治したが、秦の滅亡にともない、現地最高司令官の趙佗(ちょうた)が独立割拠、南越武王と称し、前二〇四年に建国した。国都は番禺(ばんぐう)、いまの広州で、五代九十三年つづいた。
国王として六十七年君臨した祖王趙佗は、百三歳で大往生する。王墓を造営したのは、丞相呂嘉(りょか)である。呂嘉は漢武帝らの盗掘を恐れ、たくみに陵墓を偽装した。
海のシルクロード―絹海道という西方航路を拓き、国に多大な利益をもたらした嫡子の趙始は、太子の座を放棄し海上貿易に専念した。そのため孫の趙胡が二代目を継いだ。文弱だった趙胡は祖父や父への反発を乗り越え、音楽に道を見出し、歌舞祭を催して、民族の融和をはかった。
三代目の趙嬰斎(えいさい)は妃の樛姫(きゅうき)に翻弄されるが、南越国の独立だけは堅持する。
幼少で四代目を継いだ趙興は、傀儡ながら母樛太后の非をなじり、呂嘉を窮地から救う。
呂嘉は五代目に趙建徳を立て、漢朝に謀反する。しかし全面戦争を避け、呂氏一族を犠牲に、国土と民族を残す秘策に賭ける。南越国の遺産をめぐって、漢武帝の有能な経済官僚桑弘羊(そうこうよう)とのあいだで、頭脳合戦が繰り広げられる。趙始が拓いた絹海道は、造船と操船の技法ともども漢朝に委譲された。貯えられた財宝も漢に渡された。しかし、宝物が埋葬された王陵墓のありかだけは秘匿され、漢の手には落ちなかった。
呂氏一族が配流された雲南不韋県に、桑弘羊の放った刺客集団が攻め込んだが、弾弓(だんきゅう)をもってこれを一蹴する。 建徳は漢とも嶺南とも別れ、新天地へ向かってビルマ南下を決意する。
一九八三年、広州で『南越王陵墓』が発見された。二代目趙胡のものだった。