あらすじ
享保八年、大坂。
「心中物」で一世を風靡した劇作家・近松門左衛門は、幕府の上演禁止令に抗うように、さらに深い闇へと筆を走らせていた。
その傍らで、墨を磨り続ける十八歳の娘・お信。
彼女はひそかに問い続けていた。
死を飾り立てる筆に、果たして意味はあるのか?
父が「下らぬ日常」と切り捨てた、泥まみれになりながらも明日を掴もうとする人々の営み。
やがて、お信はその「生の輝き」を紙の上に刻み始める。
しかし彼女が生きるのは、女が筆を持つことさえ嘲笑われる時代。
幕府の検閲、父との対立、そして「名を消す」という残酷な取引――それでもお信は書くことをやめない。
自分のためではなく、いつかこの物語を必要とする、まだ見ぬ誰かのために。
歴史に名を刻んだ父・近松門左衛門。
歴史から名を消された娘・お信。
これは、時代に反逆(アンチ)した、1人の名もなき天才の物語――――。
【作者より】
本作は、史実の近松門左衛門を貶めたり、その文学的功績を否定する意図は一切ございません。
お信と近松門左衛門の対立はあくまで物語上の構図であり、作者は近松門左衛門という人物とその作品に、深い敬意を抱いております。
また、近松門左衛門に娘がいたかどうかは史料に明確な記録がなく、一女一男をもうけた説もあれば、娘はいなかったという説もあります。
本作は「もし娘がいたとしたら」というIFを出発点にした、純粋な歴史フィクションです。