あらすじ
――ここは、どこだ……?
男はゆっくりと上体を起こし、辺りを見渡した。視界いっぱいに広がるのは、幾重にも重なる木立や草むら。湿った土と青臭い葉の匂いが、押しつけるように鼻腔に入り込んでくる。
どうやら、ここは森か山の中らしい。
――だが、何も……何も覚えていない。おれは……いや、僕は……おれ……自分は……誰なんだ……。
名前、家族、住んでいた場所――頭の奥に指を伸ばすようにして記憶をたぐり寄せようとしたが、何も掴めなかった。どれも輪郭をなくし、砂のように指の間からこぼれ落ちていった。
男はゆっくりと立ち上がった。次の瞬間、ぐらりと足元がふらつき、思わず膝に手をついて踏ん張った。
ゆっくりと背筋を伸ばし、自分の体をまじまじと見下ろす。黒いTシャツに青いデニム、汚れたスニーカー。ごくありふれた格好だ。次にポケットに手を突っ込み、右、左、後ろと順に探ったが、財布やスマートフォンなど身分を示すものは何一つ出てこなかった。
しばらくその場に立ち尽くしていると、鳥のさえずりや葉擦れの音に混じり、低い音がかすかに聞こえてきた。車の走行音だ。どうやら、近くに道路があるらしい。
そう考えた男は、音のする方角へよたよたと歩き出した。