あらすじ
<全55幕>
分厚い防音ガラスと、二十四度に管理された無菌の冷気。その絶対的な安全圏から、私は莫大な資本と冷徹な審美眼をもって、半世紀の沈黙を破った天才画家の狂気を支配し、至高の芸術として庇護するはずだった。
だが、足利の重い漆喰壁の奥底でキャンバスから溢れ出したのは、美しき歴史的傑作などではない。三十七度のねっとりとした微熱と、酸化した鉄錆の匂いを纏う、圧倒的な泥の濁流だった。完璧に計算された私の日常は、舌の裏に張り付いた泥のような鋭い苦味と共に、音もなく理不尽な融解を始める。
これは、文化の保護者という高潔な大義名分が剥がれ落ち、気管を灼く熱波の中で、終わらない共犯関係という逃げ場のない泥濘へと沈んでいくまでの、不可逆の記録である。