あらすじ
病棟実習が始まった秋、蒼は附属病院の内科病棟に配属される。担当患者の一人に、身元がはっきりしない五十代の男性がいた。名前は「川瀬」。住所も保険証もなく、救急搬送されてきた低体温症の患者だった。
ホームレス状態にあるとわかると、病棟の空気が変わった。早期退院を促す声が上がり、ソーシャルワーカーの介入も形式的なものに終わった。指導医は「これ以上できることはない」と言った。
文乃が川瀬と話し込むようになった。川瀬は寡黙だったが、医療について妙に詳しかった。ある日、文乃は川瀬が夜中にこっそり病院を抜け出していることに気づく。
尾けた先は、旧市街の路地裏——桐山診療所の裏手にある、小さな空き倉庫だった。
そこでは週に二度、夜間だけ「診察」が行われていた。保険証のない外国人労働者、ホームレスの老人、生活保護を恥じて病院に来られない人たち。川瀬はそこで「患者の案内役」を長年務めていた。そして診察を行っていたのは、橘道夫の紹介で繋がった、桐山義雄だった。
医師免許はある。しかし施設の届け出はない。医療法上のグレーゾーン、あるいはアウト。
蒼たちは引き裂かれる。この「夜の外来」は確かに必要とされている。しかし法的に守られていないまま続ければ、桐山が処分を受ける。告発すれば、行き場のない患者たちが路頭に迷う。かといって黙認すれば、自分たちも共犯に近い立場になる。
三上は「正式な手続きで制度を変えるべきだ」と言う。文乃は「今夜、凍えている人間を前にして、制度の話をするのか」と言う。葵は「これは記録されないまま終わっていいのか」と問う。
そして川瀬は、かつて医師だったという事実が少しずつ見えてくる——医療事故で免許を失い、患者への罪悪感から、ずっとここで「患者の側」にいた男だった。