あらすじ
妖怪譚 ―「あんからおん」
和光は、いつのまにか夢の底へと沈んでいた。
それは眠りというより、意識がどこか別の層へ滑り落ちていくような感覚だった。足元の感触はなく、ただ、音だけがあった。
「……ん」
どこからともなく響く、かすかな終止の音。
その音に導かれるようにして、和光は気がつくと、長く続く回廊の中に立っていた。
回廊は薄暗く、壁は黒とも白ともつかない曖昧な色でできている。だが奇妙なことに、そこには無数の「声」が漂っていた。
「あん……いん……うん……えん……おん……」
終わりの音だけが、形を持たずに浮かび上がる。
いや――違う。
それは、やがて形を持ち始めた。
最初に現れたのは、「あん」だった。
それは柔らかな布のような影をまとい、和光の前に静かに降り立った。姿は人に似ているが、輪郭は曖昧で、まるで安心と不安の境目そのもののようだった。
「あん」は、何も言わずに和光の肩に触れた。
その瞬間、和光の心に、深い静けさが流れ込む。
懐かしいような、温かいような感覚。
だが次の瞬間、その静けさは裏返った。
胸の奥に、理由のない不安が広がる。
「……これが、お前の本当の顔か」
和光がそう呟くと、「あん」はかすかに揺れた。
安らぎは、常に不安と隣り合わせにある。
そのことを示すように、「あん」は霧のように消えた。