あらすじ
私は、優しい人間だと信じて疑わなかった。
いや、正確には、そう信じているあいだだけは、自分の卑しさから目を逸らしていられたのだと思う。
人に逆らわず、拒まず、傷つけない。
そうした振る舞いは、いかにも穏当で、いかにも善良に見える。
しかしその実、私の内側にあったのは、他人への思いやりなどではなく、ただ嫌われることへの異様な恐怖であった。
私は、人を傷つけないために沈黙していたのではない。
自分が傷つかないために、何も言わなかっただけだ。
恋人は、弱い人間だった。
少しの不安で揺らぎ、確かめるように何度も私を求める。
そのたびに私は頷き、曖昧な言葉で応じ、関係を繋ぎとめた。
それが優しさであると、思い込んでいた。
---いや、思い込もうとしていた。
彼女が崩れていくほどに、私は安心していた。
これで、離れられない理由ができる、と。
自分でも気づいている。
それがどれほど卑劣で、救いようのない考えであるかということくらい。
それでも私はやめなかった。
やめてしまえば、私はもはや「優しい人間」ではいられなくなるからだ。
人は、自分の醜さに、名前をつけて誤魔化す。
私にとって、それが「優しさ」だった。
だから私は何も選ばない。
拒絶もせず、決断もせず、ただ関係が壊れるのを待ち続ける。
その過程で、何が失われていくのかを、知りながら。
これは、善人の物語ではない。
善人であろうとし続けた結果、最後まで卑怯であり続けた人間の記録である。
そして私は、いまでもなお思っている。
---あれは仕方のないことだったのだと
そうでなければ、私は、自分の内側に沈んでいるものを、直視せずにいられない。
それはまるで、腐りかけた内臓のように、静かに、確実に、私の中で膨れ上がっているのだ。