あらすじ
享保十四年(1729年)。第八代将軍・徳川吉宗の命により、異国から渡ってきた一頭の「象」が、長崎から将軍の待つ江戸城へと向かっていた。
それは、泰平の世を生きる江戸の人々にとって、言葉も通じない、常識も通用しない「圧倒的な未知」との遭遇だった。
野心に燃える三流の興行師は、その抗いがたい本物の命の前に己の底浅さを突きつけられる。
知識こそが全てと嗤う蘭学者の医者は、生きた質量の前にかつての無邪気な探求心を取り戻す。
日々の労働に疲弊する孤独な茶屋奉公人の少女は、象の重い足取りに自身の姿を重ね合わせる。
そして、創造力の枯渇に焦る完璧主義の老職人は、躍動する巨体に最期の情熱を燃やし尽くす。
江戸の市井で生きる名もなき人々の人生が、一頭の象という「鏡」を通して鮮やかに交錯していく。
そして最終話――この前代未聞のパレードを引き寄せた張本人である将軍・徳川吉宗は、御白州で象と対面し、生命の深淵を省察する。
これは、歴史的な熱狂の裏側で確かに息づいていた、江戸の人々の欲望と哀愁、そして「未知」への驚きを描く、全5話の連作短編・時代小説。