あらすじ
六十五歳、定年を迎えた佐久間雄二は、金のかからない趣味として“作家修行”を始めた。
通い始めた文芸サークル「一握」で、彼を待っていたのは、毎回同じ所作で原稿をめくり、「悪くはないんだけどね」と言いながら曖昧な助言を重ねる“先生”と、その言葉を律儀に書き留める一万田さんだった。
「上質」「構成」「視点」「リアリティ」「読者」「声」「推敲」「踏み込み」——
次々と投げかけられる文学的キーワードに翻弄されながらも、佐久間は少しずつ、自分の書く理由と向き合っていく。
六十五年の人生は“凡庸”なのか。
自分の声はどこにあるのか。
誰のために書くのか。
そして、何を差し出すのか。
サークルの空気、老眼鏡の仕草、赤鉛筆の音。
小さな世界の中で、佐久間は静かに変わり始める。
最終話、彼が初めて他人の原稿を講評する場面でつぶやく「うん」。
その一言に至るまでの道のりが、温かく、少し切なく、そしてどこか可笑しい。
老いから始まる“成長物語”。
書くことに迷い、揺れ、時に腹を立てながら、それでも机に向かうすべての人に寄り添う連作短編。