あらすじ

ヨハン・レーゲンフェルトは交易組合の筆記官である。毎日正午の鐘とともに席を立ち、灰麦亭で一人の昼食をとる。灰麦パンを割り、霧漬けの魚を舌に載せ、茸の煮込みをすすり、星粒のプディングの蜜の甘苦さを味わう。ただそれだけの四十分間を、異常なまでの精度で。 パンの発酵が浅い。酢に別のものが混じっている。煮込みの旨味が和音から単音に変わった。——ヨハンの舌は、灰麦亭の味が少しずつ変わり始めていることを検知する。創業者ゲルダの手から息子ルーカスへ、経営が移りつつある食堂で、原材料が一つずつ安価なものに置き換えられていく。誰も気づかない。ヨハンだけが気づく。気づいて、何もできない。 亡き母から受け継いだ味覚の鋭さ。それはかつて婚約者を遠ざけ、今も向かいの席を空席にし続けている。完璧に聴こえる耳を持ちながら一音も奏でられない男が、変わりゆく一食の中に、母の記憶の輪郭が揺らぐのを感じる。 架空の交易都市エーレンベルクを舞台に、たった一度の昼食を五章かけて描く、味覚と記憶と喪失の物語。

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カクヨム
カクヨム2026/02/22
  • 現在の作品灰麦亭の午餐