あらすじ
広告代理店勤務、二十七歳。桐島凛の朝は、五時前に始まる。
終電で帰る夜。食事を忘れる昼。上司の一言で削れていく自分。気がつけば、感情という回路が止まって、ルーティンという別の何かが体を動かしていた。
このまま、砂になってしまうかもしれない。
そう思った雨の夜、傘を無くした路地の奥で、小さな植物店を見つけた。
「ノアの庭」。店主の朝比奈渉は、無駄なことを言わない人だった。ただ「ゆっくりどうぞ」と言って、待っていてくれる人だった。
一鉢の植物が、部屋に来た。葉が一枚、増えた。土が乾いたから、水をやった。それだけのことが、少しずつ、凛の中の何かを変えていく。
植物は正直だ、と渉は言った。水をあげれば育つし、あげすぎれば枯れる。全部、正直に出る。人間の言葉より、ずっと正直——。
仕事が好きだった頃の自分を、諦めかけていた。恋というものが、自分にまだあるとは思っていなかった。
でも、冬に咲く花がある。寒い中でも、ちゃんと咲く。
社会に疲れた女性と、過去に挫折を抱える植物屋の男性。二人の、静かで、確かな再生の物語。