あらすじ
三十一歳の蔦原伊織は、かつて世界を魅了した天才ピアニストとしての自分を捨て、認知症の母を支える過酷な介護生活を送っていた。窓を閉め切ったリビングには楽譜の古紙と排泄物の匂いが混ざり合い、埃を被ったグランドピアノは彼女を食い殺そうとする「怪物」として君臨している。
ある夕暮れ、母が奏でた狂った『花の歌』をきっかけに、伊織は自らの指がもはや一音も満足に紡げないほど壊れている現実を突きつけられる。母との絆、そして「最高傑作の娘」としての自尊心を取り戻したい一心で、伊織はネットで禁断の薬『十分間のフローラル』を注文する。それは、服用後わずか十分間だけ、全盛期の超絶技巧を完璧に再現させる劇薬だった。