あらすじ

渋谷の居酒屋で同僚をビールジョッキで殴った男、桐島修一、三十四歳。防犯カメラの映像あり、目撃者四名。事実関係は明白——あとは本人の口から経緯を聞くだけの、ごく単純な案件のはずだった。 だが、桐島は語り始める。コートのリプルーフの手順を。カウンターで座るべき席の倫理を。割り箸の繊維が唇に引っかかる不快感を。ハイボールの氷の理想的な比率を。焼き鳥は塩に限る理由としての人間関係論を。取調室の蛍光灯の演色性の低さを。——そして、そのすべてに、誰にも頼まれていない比喩を添えて。 刑事の久保田はペンを握り、調書を書こうとする。しかし、「激昂し」は内面の実態と違うと訂正を求められ、「殴打」は語感が暴力的すぎると抗議され、六時三十分と六時二十八分では残光の色が違うと講義を受ける。 事件はあまりにも単純で、こだわりはあまりにも壮大で、調書はいつまでたっても完成しない。 ベテラン刑事と、自分の体験を一行たりとも要約させない男。取調室という密室で繰り広げられる、噛み合わないのに決して破綻しない、奇妙に静かな攻防戦。

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カクヨム
カクヨム2026/03/09
  • 現在の作品取調室のワルツ・フォー・デビイ