あらすじ
旧市街の夜。半長毛の黒猫クロは、いつものように屋根の上から街を見下ろしていた。人間の世界の出来事には関わらない。ただ匂いと気配を覚え、静かに通り過ぎるだけの存在だった。だがある夜、廃ビルの屋上で一人の若い女性が男に追い詰められる場面をクロは目撃する。男は地元の大企業の御曹司・隆也。軽い口調のまま女性を追い詰め、もみ合いの末、女は柵の向こうへ落ちていく。クロはそれを見ていたが、何もできない。ただ、その夜の匂い――酒、汗、そして恐怖の匂いだけを記憶に刻んだ。
翌朝、その事件は「自殺」として処理される。しかし現場に現れた刑事・内村は違和感を覚える。数年前、彼は婚約者を同じような転落事故で失っていた。警察は自殺と結論づけたが、内村は今も納得していない。屋上でふと視線を感じて振り向くと、壁の上に黒猫が座っていた。かつて婚約者のアパートに通い、餌をもらっていた猫――クロだった。内村は思わず呟く。「……お前、見てたのか?」
その夜、クロは再び同じ匂いを追う。隆也が別の女性を屋上へ連れ込もうとしているのを察知し、クロは初めて人間に飛びかかる。女性は逃げ出し、駆けつけた内村の前で「突き落とされそうになった」と証言する。しかし相手は権力者の息子。警察上層部は捜査を止め、内村は独断捜査の責任を取らされ窓際部署へ異動させられる。上司の佐伯は言う。「お前を守ってやってるんだ。奥さんの件も……もう終わった話だ」
だが内村は諦めない。公式の権限を失いながらも、防犯カメラや位置情報などを地道に集め、事件の断片をつなぎ合わせていく。クロはそのそばで、ただ静かに見続けている。人間を信用しているわけではない。ただ、内村が自分と同じ「見てしまった者」であることを知っているからだ。
やがて新たな証拠が現れ、隆也の転落事件への関与が浮かび上がる。しかし同時に、内村の婚約者が死んだ夜にも別の影が関わっていた可能性が見えてくる。企業と警察の癒着、そして事件を「終わらせた」人物の存在。すべてを知るのは、あの夜からずっと街を見てきた一匹の黒猫だけだった。
猫は証言できない。だが、すべてを見ている。
そして見てしまった者たちは、やがて選ばなければならない。
見ているだけで終わるのか、それとも真実に向き合うのか――。