あらすじ

夫の靴についた泥が、毎月同じ方角を向いていることに気づいたのは、結婚二年目の冬だった。 気づかないふりをした。気づいてしまったら、この家にいられなくなるから。 五年目の春、夫が出張と言って家を空けた夜、書斎の日記帳を開いた。最後のページに、見覚えのない筆跡で一言だけ。 「逃げて」 それは三年前に解雇された侍女の字だった。あの子はずっと知っていた。知っていて、何も言えなかった。言えないまま屋敷を追い出されて、それでも日記帳にだけ残してくれた。 その三文字が背中を押した。 家を出た先にいたのは、侍女と同じ故郷の港町で地図を描いている男だった。無口で不器用で、名前も事情も聞かずに部屋を差し出した。まるで誰かが来ることを知っていたかのように、その部屋には埃ひとつなかった。 帳簿ひとつで身を立てようとする元伯爵夫人と、言葉の代わりに地図の余白にメモを残す男。ふたりの距離は少しずつ縮まるのに、別居中の妻が恋をすれば法がそれを許さない。 あの部屋はなぜ、三年も前から準備されていたのか。

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小説を読もう2026/03/06
  • 現在の作品夫に嘘をつかれ続けた伯爵夫人が家を出たら、そこには、三年前から埃ひとつない部屋を用意して待っている男がいました