あらすじ

対人恐怖症という言葉があるように、私は対人依存症ではないかと思う。 他人が信用できなくて、自分のことも勿論大嫌いで、そのくせ自分というもののレゾンデートルを他人に担保して貰おうとしている。他人に愛され、好かれ、いつも構われていないと寂しくて仕方がないのに、えり好みが激しいうえに節操は無いときている。 この、漠然と自分は死んだほうがマシだし、イザ死んだって何も変わらないし誰もずっと困ったり悲しんだりはしない、というのをずっと抱えて生きている感覚がわからない奴には今後なにを話しても伝えても無駄だし、逆に言えば私が未だに〝こう〟なのだから、これまで私に親切にしてくれたり支えてくれたりした人たちの優しさや努力や辛抱や我慢や忍耐、金銭と引き換えに目を瞑ってくれた時間と感触、などなど全部無駄だったことになる。 誰かを好きでいたいくせに、その好きになりたいし好かれたい人にも好きな人や好かれたい人がいることは受け入れられず、自分が好かれなければ嫌われていると思い込む。 以前こういう、すぐ他人から嫌われていると思いがちな人のことを 〝嫌われ者症候群〟 と名付けてみた。 そして、嫌われ者のまま誰かを求め続け、誰にも愛されない気がしていた。心の中で叫び続けている名前があるのに、声に出して呼ぶことは出来ない。そんな日々のこと。 もう一つ。 僕は母子家庭で、物心つく前から家庭内暴力や暴言…いわゆるDVを浴び続け受け続けて育った。高校2年ぐらいまで続いたと思う。 それが僕を、どう曲げて、どう鬱屈とさせたかについても振り返ってみた。 自分と同じような人が、もしこれを読んでくださって、少しでも共感したり、どこかでちょっと笑ってくれたりしたらうれしいです。 僕は僕の育ちも、僕自身も許せないし、今でも嫌いです。 だけど、そんな僕にも好きな人は居て。 他者愛と自己否定の間で、今日も悪戦苦闘しています。

連載情報

ウェブ小説

配信言語
小説を読もう
小説を読もう2026/02/27
  • 現在の作品#対人依存症。和哉くんは生きづらい!