あらすじ
市街地から車で1時間以上離れた片田舎にUターンして半年。
生まれ育った静かな町に不便はないはずなのに、彼にはどうしても埋められない不満があった。
…Barがない。
かつて上京時代にハマり、県内の老舗に通い詰めていた本格的なBarの時間。
カウンターでパイプを燻らせ、キンキンに冷えた辛口マティーニを傾けるあの贅沢なひとときが、恋しくて仕方ない。
妻帯者ゆえの制約、飲酒運転の厳しさ、家族の目……。
半年間、自宅晩酌かチェーン居酒屋か友人のスナックしか許されず、溜まりに溜まった渇望がついに爆発する夜が訪れる。
妻と子が実家に泊まりがけで出かけた土曜の夜。
冷蔵庫は空っぽ。
「今日は外で飲むか」と意を決し、パイプとタバコを丁寧に選び、腕時計を付け、コートを羽織って家を出る。
飲食街をぶらつきながらも、心はどこか満たされず。
細い路地の奥、誰も知らないはずの空き店舗の前で、彼は足を止めた。
暖かなランタンの光。
重厚なオークの扉に、真鍮のプレート。
『Bar 風花 -kazahana-』
この田舎に、Barなどあるはずがない。
なのに、そこに確かに「場所」が息づいている。
好奇心と疑念が入り混じりながら、彼はゆっくりと扉を押す。
扉の向こうで待っていたのは、予想を超えた静かな夜の始まりだった。
(隠れ家のような小さなBarで交わされる、グラス越しの会話と、煙と氷の音。 彼の日常に、風のように舞い落ちた一夜の物語)