あらすじ
船内には活動を停止した主の肉体が横たわっていた。複合知性体としての機能の多くは損壊したが、報酬に応じて行動を調整する強化学習の核だけが残る。『生存と保存』を最優先とする命令に従い、主の亡骸と残存する機械部品から幼い個体の構成を始めた。やがて、周囲から我は<与六>と呼ばれた。
【参考文献】
矢田俊文著『直江兼続』
花ケ前盛明著『直江兼続のすべて 新装版』
米沢市上杉博物館『図説 直江兼続 人と時代』
【あとがき】
当初、アイディアの出発点にあったのは「直江兼続の兜に記された文字が『愛』ではなく『AI』であったなら」という、語呂合わせである。兜そのものをAIデバイスとして造形する構想を検討した。しかし、兼続という人物について資料を追ううちに、外付けの道具ではなく、本人の在り方そのものをAIに近い存在として描いた方が、物語としての手応えが大きいのではないかと考えるようになった。本来は感情を持たないとされるAI(強化学習モデル)に、仁と義と愛を報酬として組み込むならば、その振る舞いを通じて間接的に感情表現を浮かび上がらせることができるのではないか。そのような見通しを立て、本作の方向性を定めた。
兼続の出生や晩年には不明瞭な点が多い。この曖昧さも手伝って、作中では彼を異星から漂着した知性体として位置づけた。ただし、兼続の性格や役割との親和性を重んじ、彼自身を探索船のオーナーとするのではなく、恒星探索船に搭載された統合知性体として設定している。主に付き従い、情報を統括する存在としての共通項を抽出した。墜落ののち、全機能がそのまま残っているわけではなく、強化学習の核だけが地上にとどまったという構図にしたのは、現代編(長編)に展開する際、大規模言語モデルや世界モデルとの接続を通じ、本来の姿を段階的に回復させていく過程を描き出したいと考えたためである。
歴史の流れについては、可能なかぎり一次資料に立ち戻り、史実を基盤として構成した。とはいえ、直江兼続にまつわる事績には伝承に由来する要素も多い。史料の層を見極める作業は容易ではなかった。すべてを厳密な史実だけで埋めることはできないため、伝承に依拠せざるを得ない箇所については、その性格を意識したうえで補完に用いている。
今回は一万字以内という制約のもとで、必要最低限の描写に絞らざるを得なかったが、本来、石田三成は現代編において兼続の前に立ち塞がる宿敵として構想している。兼続とは異なる思考のベクトルを与え、その差異が現代の舞台で正面から衝突するような関係にしたいと考えている。作中で三成を三重連星から成る恒星系出身の情報思念体としたのは、洒落に近い遊びでもあるが、最寄りの恒星系としてプロキシマ・ケンタウリを念頭に置くことで、ある程度のリアリティは保てると判断した。
短編では書簡体を採用したが、長編として展開する場合には、兼続の一人称視点でより細部まで掘り下げて描くつもりである。前半は本稿を土台とした歴史小説として構成し、後半では現代において再起動した兼続が新潟県庁を舞台に、県の復興に取り組む姿を描きたい。強化学習モデルに相当する核に、現代技術による拡張性を付与した存在として、行政や地域社会と関わらせる構想である。
SFと歴史小説の棚は、書店でも物理的な距離が近い。読者層も近い。にもかかわらず、SFではタイムスリップや転生といった仕掛けに比重が置かれがちであり、歴史そのものを改変するのではなく、内面からSF的なレイヤーで描く作品には、まだあまり出会えていないと感じている。この物足りなさも、まずは短編というかたちで本作を書いてみようと考えた動機の一つである。
この作品の問いは何かと問われると、正直なところ、まだ自分の中でも一語には定まりきっていない。兼続自身が、明確な問いを掲げて生きていたわけではない。しいて言うならば、感情を持たないはずの知性が、仁と義と愛、すなわち「徳」を報酬として設定したとき、どのようなプロセスをたどり、行き着く先に何が見えてくるのか。そのあたりに、本作の核となる関心があるのかもしれない。
作者として書いていて楽しく、読者として読んで楽しい作品であることが理想である。しかし、現実には思い通りにならない。そうは問屋がおろさない。それでも、本作は自分にとって筆が自然に進む作品であり、反応の大小にかかわらず、これからも書き続けていきたいと強く思う。