あらすじ

ピアノにすべてを捧げてきたソリスト・すみれは、ある日、自分の音が空虚に響いていることに気づく。舞台での成功も拍手も、孤独を埋めることはなかった。音楽を失うことは、自分自身を失うことと同じだった。やがて彼女は演奏をやめ、5月の鹿島の海へ向かう。終わらせるためだった。 海に落ちたすみれは救助され、一命を取り留める。病室の白い天井を見つめながら、生き残ってしまったことを静かに受け入れられずにいる。身体は回復していくが、音楽も未来も遠いままだった。 退院後、すみれは小さな部屋で一人暮らしを始める。ピアノのない生活は、時間だけが流れる空白だった。窓の外の音、夜の静けさ、呼吸の重さ。生きているという事実だけが、ゆっくりと彼女を現実につなぎとめる。 やがて、すみれは再び鍵盤に触れる。かつてのような技巧も情熱も戻らない。ただ、音が鳴るということだけが確かだった。音は嘘をつかない。上手くなくても、意味がなくても、そこに存在する。 鹿島の海で終わるはずだった人生は、静かに続いていく。 これは再生の物語ではなく、生き残ってしまった一人のピアニストが、音とともに時間を引き受けていく物語である。

連載情報

ウェブ小説

配信言語
カクヨム
カクヨム2026/02/17
  • 現在の作品旋律は裏切らない