あらすじ
「――覚悟してくれ。僕は明日、君の名前を忘れているかもしれない」
東京、神楽坂。 石畳の路地裏に静かに佇むヴィンテージマンションの一室に、その男は住んでいる。 葛葉湊(くずは みなと)。 大学で民俗学を教える彼は、一見すると少し偏屈で冴えない非常勤講師に過ぎない。 だが、彼には逃れられない「血の宿命」があった。
古来より東京の霊的構造を護り続けてきた一族『北辰(ほくしん)』の末裔。 都市のあちこちに生じる因果の歪みを、家紋に宿る力で正す――孤独な「調律者」である。
彼が操るのは、万物を縛る最強の権能「重力干渉」。 しかし、その絶対的な力を行使するためには、あまりに過酷な代償を支払わなければならない。 それは、「自らの記憶」を差し出すこと。 穢れを鎮め、誰かを救うたび、愛した人の笑顔も、昨日の夕食の味も、大切な思い出が脳裏から空白へと変わっていく。
そんな摩耗し続ける彼の魂を支えるのは、二つの存在。 一つは、白猫の姿をした毒舌な神獣・御影(みかげ)。 そしてもう一人は、湊の講義に足繁く通う好奇心旺盛な女子大生・神代暦(かみしろ こよみ)だ。 彼女はファインダー越しに、湊の失われていく日々を繋ぎ止めるように宣言する。「先生が忘れても、私が全部記録してあげますから」と。
「蛇の目」「隅立四つ目」「下がり藤」――。 東京の地下で暗躍する謎の組織『七曜会(しちようかい)』。 彼らが仕掛けるのは、霊的プログラムコードとしての「家紋」を用いた、都市そのものの書き換え(オーバーライト)。
日常の裏側で進行する都市崩壊の危機。 湊は今日も白い麻のハンカチを取り出し、月星(つきぼし)の紋を指でなぞる。たとえ明日、隣にいる彼女のことを忘れることになったとしても、彼女が生きるこの街を護るために。
これは、忘れ去られることを恐れるすべての人に捧ぐ、喪失と再生の民俗学伝奇ミステリー。