あらすじ
十年間つけ続けた行動記録帳が、私の身を守る武器になるとは思わなかった。
伯爵家の一人娘リーネは、婚約者の不正を知ってしまう。
偽造された借用書。
自分の名を騙った負債。
問い詰めれば言い逃れ、庇えば泥沼。
だから私は、自分から婚約を破棄した。
手元に残ったのは、父が預けてくれた一枚の権利書。
街道の果てにある、屋根も壁も朽ちかけた小さな宿。
そこで出会ったのは、無口な修繕職人の男だった。
彼は理由を聞かない。
私も多くは語らない。
ただ、壊れた窓枠を直し、崩れた竈を組み直し、一つずつ宿を蘇らせていく。
けれど誰かが、この宿を潰そうとしている。
野犬を追い立て、商人を脅し、噂を流す影。
窓枠に刻まれた古い文字が示す、前の持ち主の想い。
記録と手順で不正を暴くか。
それとも静かに立ち去るか。
春の街道を、二人は歩き始める。
言葉にしない約束を胸に抱えたまま。