あらすじ
あらすじ(ネタバレあり)
明治十五年、虎列刺(コレラ)の死臭に包まれた帝都東京を舞台に、新選組の過去を捨て「藤田五郎」として法の犬に成り果てた男が、文明の光で殺人を調律する狂気の暗殺者と対峙し、己の中に眠る「牙」と新時代の「理」の狭間で、救いなき正義の在り方を問う歴史ミステリ・ノワール。
かつて新選組三番隊組長・斎藤一として闇を生きた男は、今は警視庁警部・藤田五郎として、数字と法による秩序を信奉していた。彼は若き計数官・三浦孝之助と共に、政府の不正蓄財の証拠を握る男の死を追う。犯人は、殺人を一曲のワルツのように演出する謎の演奏家・緒方律。藤田は己の「牙」を封印し、新時代の武器である「算術」と「論理」によって、緒方を包囲網へと追い詰めようとする。
舞台は虎列刺患者を隔離する「避病院」へと移る。藤田は緻密な計算に基づき、緒方を逃げ場のない物理的・心理的檻に閉じ込めたはずだった。しかし、緒方は文明の象徴である「石炭酸(消毒液)」と「音楽」を凶器に変え、藤田のロジックを内側から食い破る。三浦は藤田の目の前で、あまりに美しい「音」の一部として惨殺され、避病院は紅蓮の炎に包まれる。算術による完封という藤田のプライドは、血塗られた掌の前で音を立てて砕け散った。
敗北のどん底で、藤田はかつての宿敵・加納から「獣に戻れ」と挑発される。法も数字も、一人の善良な男を守れなかった。藤田は自身の制服のボタンを引きちぎる「儀式」を経て、法の番人としての自制と、獲物を屠る暗殺者の本能を融合させた、歪な覚悟を固める。決戦の舞台は、落成間近の鹿鳴館。華やかな仮面舞踏会の最中、オーケストラの旋律に紛れて最後の一撃を奏でようとする緒方に対し、藤田は「無音」の動きをもって、文明の光の中で牙を剥く。
藤田は、緒方の音楽的な拍子(リズム)を物理的に断ち切る「牙突」を放ち、彼を逮捕する。さらに、自分を殺すことで士道としての幕引きを求めた加納に対しても、刀を抜かずに「法による裁き」という最も残酷な生を与える。事件は解決し、鹿鳴館には何事もなかったかのように再びワルツが流れるが、三浦が命を賭して暴こうとした「端数(巨悪)」は闇に葬られたままであった。藤田は、割り切れない死の重みを背負い、白く塗り固められた煉獄の街へと消えていく。