あらすじ
最近私は気付いた。私から出てくる言葉は、公の討論の場にふさわしいものではなく、プライベートな個室でささやかれるべき言葉だと。万人受けする言葉でもないし。言葉の吐き場所を探した私は、再びここにたどり着いた。そして過去を振り返って決めた。再び「概念の騒音」を書こうと。一番人気があった事も、大きな理由。やはり私の中から出てくる言葉の本質は詩であり、詩は詩にふさわしい形式で語られるのが、一番落ち着くのかもしれない。
私は変わった人間かもしれない。しかし「変わった人間」も、一定の量存在したなら、それもまた、普遍的なカテゴリーとなる。
詩という形式は、一番、作るのに訓練を要しない芸術である。だが、私はそれで構わない。私は他の芸術家に比べて、より優れた芸術家になる気はない。私の本分は、キリスト教を念頭に置いた宗教であり、キリスト教を前提として成り立っている哲学だからだ。私の関心は、私に対して働いている神を、私の存在を通して表現する事だけに限られる。神に選ばれた者は、神を語る義務を持つ。私はその義務を、私がまだ地上で生きている限りは、履行し続けるのみである。