あらすじ
主人公は、浅い眠りのなかで得体のしれない靄と対話をする。死について投げかけても、靄からは自らとは正反対の死生観が返ってくる。あらゆる痛みを感じず、孤独ではなく集団のなかで立ち上がる希死念慮。自死は褒め称えられるが、死にいたるまでの手順は複雑で、長い時間をかける必要があった。
耐えがたい心の痛みと、ふくらむ孤独感や敗北感、周囲への負担感を、理論的に説明しようとするも、自殺について研究を進める過程で主人公は重大な事実を知ることになる。
【注意書き】
本作品には、死や自殺に関する表現が含まれますが、いずれもフィクションであり、現実の自殺や自傷行為を推奨・助長する意図はございません。ご自身の心身の状態にご留意のうえ、お読みください。
【参考文献】
エドウィン・S・シュナイドマン著『シュナイドマンの自殺学――自己破壊行動に対する臨床的アプローチ』
末木新『自殺学入門――幸せな生と死とは何か』
トーマス・ジョイナー著『男はなぜ孤独死するのか 男たちの成功の代償』
【あとがき】
私が敬愛する作家が、自殺を題材として扱う長編小説を書いている。その小説の中には、「人を殺す本」として紹介される、実在のドイツの古典小説が登場する。この古典小説が刊行されたのち、主人公をまねた若者の模倣自殺が相次ぎ、「人を殺す本」と呼ばれるに至った事実がある。この点までは比較的よく知られている。一方で、この「人を殺す本」の作者本人が、その作品を書き上げることによって失恋自殺の危機から脱したと伝えられていることは、あまり知られていない。この対照は、自殺を題材にした文学が、読み手にとっては凶器となり得ると同時に、書き手にとっては救命具ともなり得るという両義性を示す事例である。
自殺を俯瞰的に見ることができれば、自殺率は低下するのではないか、という淡い期待が、本作『二号室』執筆の出発点であり、そのまま原動力となった。作中にも記したとおり、私は実際に「自殺研究者 自殺」といった語を用い、多言語かつ複数の検索エンジンを使って網羅的に検索を行った。その結果、「自殺研究者が自殺した」という趣旨のニュースや記事は、一件もヒットしなかった。作中で「実例が一件もないとは思わなかった。遺族による配慮や、故人の名誉のために死因を伏せたケースもあるだろう」と記しているが、この感触は私自身の実感とも一致している。他方で、この検索結果は、自殺を長年にわたって研究し続けた人々が、自殺以外の死に方でこの世を去っているということを示す傍証として、私には十分に強いものに思えた。少なくとも、自殺研究を通して自殺を俯瞰しようとする姿勢は、彼ら自身の生に具体的な影響を与えていると判断している。
平成中期に自殺者数がピークを迎えてからは一定の減少が見られるものの、令和に入ってからも日本では、年間二万人以上が自ら命を絶つ状況が続いている。自殺は現在も進行し続ける社会問題である。この現状認識のうえに、本作のリサーチと問いは組み立てられている。私が立てた問いの順序は、「人類はなぜ自死を選択するのか、なぜ人類だけなのか」から始まる。次に「人類以外に自死を選択する生物はいるのか」という問いへと視野を広げた。さらに「生物以外に自死を選択する個は存在するのか」と考えを進めた。その延長線上で、「局所的で急激な死である人類の自殺」と、「全球的で緩慢な死である宇宙の終焉」との非対称性に行き着く。この非対称性を物語として描くことで、副次的に自殺を俯瞰して見る契機を提供できるのではないか、という仮説のもとで、私はリサーチを行い、『二号室』という作品世界を立ち上げた。
もっとも、自殺を俯瞰的に観測することが、そのまま「自殺しない」ことに直結するとは限らない。この点について、私は楽観的な前提を置かないことにした。また、具体的な自殺の手順や、助力となり得るような情報を物語の中で提示することは、意図的に避けた。自殺を扱う作品として、読者の行動を直接に後押しし得る要素は極力排除し、描く側の責任を意識した結果である。そのため、本作ではあえて全てを説明しきっていない。ラストにおいても、カメラに相当する語りの人称をずらし、主人公の行く末に対する最終的な判断を読者に委ねる構造を採用した。作品の終わり方そのものを、読者が自らの位置から自殺を俯瞰するための一つの装置として設計している。
自らの心の内をそのまま写し出すような空間とはどのようなものかを考えたとき、私はまず、天井と床、四方の壁までもがすべて鏡張りになった部屋を思い浮かべた。このイメージが、『二号室』に登場する鏡の部屋の原型である。その後、現実にも似たようなアート作品があったはずだと思い出した。草間彌生の「Infinity Mirror Room」は、四方の壁が鏡面で構成されていたが、天井は白かったという記憶が残っていた。そこで改めて調べたところ、ルーカス・サマラスによる「Room No. 2」という作品に行き当たった。1966年に発表されたインスタレーションであり、部屋の内部が全面的に鏡張りになった作品である。現在はアメリカ・ニューヨーク州のバッファローAKG美術館に所蔵されている。この作品との出会いによって、私が想像していた鏡の部屋のイメージは、現実のアートとしての手触りを得た。
「Room No. 2」をたどっていくと、この作品にも自殺にまつわるいわくが付きまとうことを知った。草間彌生の「Infinity Mirror Room」が発表されたのは1965年であり、その翌年の1966年にルーカス・サマラスの「Room No. 2」が世に出ている。草間が自作を盗作されたと感じて深く落ち込み、投身自殺を図ろうとしたものの、停車中のマウンテンバイクに衝突するかたちで大事には至らなかった、という逸話が伝わっている。サマラスの作品には「Room No. 1」と題された作品も存在する。ただ、もし自分が草間の立場であれば、自らの作品に続けて発表された鏡の部屋に「Room No. 2」と名づけられたことを、当てつけのように感じてしまうかもしれない、と私は想像した。このような背景もあり、本作ではモチーフとなった「Room No. 2」をそのまま直訳し、タイトルを「二号室」とした。202号室のように具体的な部屋番号を冠した呼称は、日本のホラー作品などでは不吉な象徴として扱われることが多い。一方で、「二号室」とだけ聞かされたときには、どの建物のどの階かも特定されないまま、得体の知れない不気味さが立ち上がる。この曖昧さと不穏さを、作品世界の空気と結びつけたいと考えた。
この部屋の扉を開くかどうかは、読者に委ねたいと思う。