あらすじ
世界は、疲れた人間をときどき雑に扱う。
それはもう、物理法則の一部かと思うほどに。
残業続き、終電、雨、霞む視界。
信号は青だと思った。たぶん青だった。
でも現実は赤で、世界は白く弾けた。
――そして、目を開けたら。
天蓋付きのベッド。
甘ったるい薔薇の香り。
金色の装飾がやたらと多い天井。
「……あ、これ死んだな」
妙に冷静だった。
だってここは、どう見ても病院じゃない。
それどころか。
「……『薔薇の宝石』の世界じゃん……」
自分が通勤電車の中で読んでいたBL小説。
王宮恋愛もの。
平民出身の主人公モブ♂に、完璧超人な皇太子が執着し溺愛する物語。
そしてもう一人――。
「悪役令息……ルシアン・ローズヴェルト……」
鏡を見て、確信した。
金の巻き髪、宝石みたいな赤い瞳、無駄に整った顔。
それは間違いなく、物語の中で主人公をいじめ、最後に断罪される存在。
よりにもよって、推しの悪役令息に転生。
しかも推しは報われないタイプの美形。
「詰んでない? 人生二周目、開始三分で詰んでない?」
だが、この世界は小説と違う。
本来なら皇太子は平民主人公に迫る。
甘く、強引で、逃げ場を与えない王道攻め。
そのルートが――
「……なんで俺を見てるの?」
皇太子アレクシス・レオンハルト。
物語随一のイケメン攻。
完璧で、冷静で、主人公にだけ異様に執着する存在。
その視線が、なぜか初対面の悪役令息である自分に突き刺さっていた。
「君が、ルシアンだね」
微笑みは柔らかいのに、逃げ道がない。
捕食者の目だと本能が告げている。
「……はい、そうですが」
「ずっと探していた」
「え?」
「君の存在は、物語よりも美しい」
いや待て待て待て。
そのセリフ、本来は主人公用。
頭の中で全ルート分岐が崩壊する音がした。
この瞬間、悟った。
断罪回避どころじゃない。
平穏ルートも存在しない。
なぜなら――
「君を、皇太子妃として迎えたい」
求婚、早すぎ。
イベントスキップにもほどがある。
「え、あの、僕、悪役令息で……」
「だからいい」
即答。
「君が誰であろうと関係ない。
君は“選ばれた”」
小説の中では、愛されなかった推し。
破滅するためだけに存在した悪役令息。
なのに。
物語は今、完全に書き換えられている。
――
悪役令息ですが皇太子が離してくれません
――
これは、
断罪されるはずだった令息が、
なぜか溺愛され、
なぜか囲い込まれ、
なぜか世界の中心になってしまう物語。
本来の主人公は安全圏で幸せになり、
悪役令息だけが異常なほど愛される。
世界線の歪みは美しい。
そして少しだけ、滑稽で、優しい。
理不尽な現実に疲れ切った青年が、
「推しに転生した結果、推しより愛される側になる」
という、因果律への小さな反逆の物語でもある。
この世界は、たぶん。
彼に「もう頑張らなくていい」と言うために存在している。