あらすじ

1. 乾杯のあとに、事件は起きる 「静岡ってさ、**“おいしいのに優しい”**んだよ」 そう言ったのは、私――紗也香(さやか)、二十七歳。東京で広告の仕事をしている。大きな案件を回して、締切に追われて、評価と数字に追われて、気づけば“楽しい”の輪郭が薄くなっていた。 だから今日、私は静岡に来た。 幼なじみの結衣(ゆい)が「一回、呼吸を取り戻しにおいで」と言ってくれたから。 静岡駅の改札を抜けた瞬間、私は思わず立ち止まった。 ――空気が、柔らかい。 スピードに慣れた体が、勝手にギアを落とす。 鼻の奥に、ふわっと緑の香りが入ってきた。駅ビルのどこかの茶葉の匂い。甘いのに、すっきりしている。 「でしょ?」 隣で、結衣がにやりとした。笑うと目が三日月になる。昔から、私が固くなると、結衣は先に笑う。私の鎧を軽くしてくれるために。 「この匂いだけでストレス一割は落ちるから」 「数字、適当すぎ」 「体感だから正しい」 意味不明なのに、妙に納得してしまう。私はもう一度深呼吸して、胸の奥が少しだけほどけたのを感じた。 「で、今日の予定は?」 「えっとね。静岡市の“うまい・たのしい・ちょい歴史”を全部詰め込む」 「三日じゃ足りないやつじゃん」 「足りないけど、足りないのがいいの。次の理由になる」 結衣はそう言って、駅から少し歩いた細い路地に私を引っ張った。提灯が並び、湯気が踊る。黒い鍋がいくつも並び、鼻が勝手に“空腹”を思い出す。 青葉おでん街。 「まずは、静岡おでん。ここで乾杯しないと始まらない」 「いきなり重い儀式」 カウンターに座ると、大将が鍋をかき混ぜた。黒い出汁が照明に光り、串がぎっしり。大根、玉子、牛すじ、黒はんぺん――静岡の名物が整列している。 一口目の大根。 熱い。舌がびっくりする。けど、出汁が染みていて、しょっぱさの角がなくて、口の中が“あったかい”。 「……え、なにこれ。優しい」 私が言うと、結衣がドヤ顔で頷いた。 「でしょ。濃いのに、急がせない」 次に黒はんぺん。 噛むと、魚のうま味がじゅわっと広がって、鼻から抜ける香りが意外に爽やかだった。

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小説を読もう2026/01/13
  • 現在の作品『駿府わくわく探偵団 〜お茶の香りと、黒はんぺんの謎〜』