あらすじ
ルメリア王国の北端、ツボミ谷。城跡の方角を見ただけで胸がざわつくと囁かれ、村人は近づかない。けれど春の終わり、共同井戸が泥で詰まり、畑の水が止まった。外から流れ着いた青年オメオンガは、縄と鉤で泥をさらい、口喧嘩より先に水を通す。
空き納屋を作業場にして、床板を張り替え、帳簿を付け、蕾草を育てる。糸を丸投げしていたエルザルカは、針を握ると縫い目で黙って取り返す。真似っこが空回るアドリアン、軽口を叩きながら手を貸すブラッドリー、売り方に筋を通すコランテ、香りで呼吸を整えるラウ・ワンリン。笑いが起きるたび、汗と涙を受け止める布ハンカチに、小さな星紋が増えていく。
夜空の星座と呼応する刺繍は、攻撃の魔法ではない。言えなかった言葉を、ほどけなかった結び目を、暮らしの手入れで少しずつ通すための縫い目だ。やがて城跡の奥で聞こえる「君のいない部屋」という声――谷に残った“守りの命令”を、針と鍬と湯気で静かにほどいていく。