あらすじ

春の午後。 教室のベランダに出ると、風はまだ少し冷たい。でも、もう冬ではなかった。 私はいつもの場所に立つ。 三階のベランダから見下ろすグラウンド。そこに、あなたは今日もいた。 ハンドボールをする姿。 走るたびに土が舞い、仲間の声が響く。 夕方が近づくにつれて、空は橙色に染まり、あなたの背中もその光に包まれていく。 私は、ただ眺めていた。 話しかけたことはない。 名前を呼んだこともない。 視線が合ったことさえ、たぶん一度もない。 だって私は、ブスで、可愛くもなくて、 勉強もできなくて、誇れるものなんて何もなかった。 隣に立ったら邪魔になる。 声をかけたら、空気を壊す。 だから、この距離でいい。 あなたと同じ夕日に照らされる。 それだけで、胸の奥が少しだけ温かくなった。 ——好き。 その言葉は、いつも心の中で留まったまま、外に出ることはなかった。 季節は巡り、 卒業の日が来て、 あなたは当たり前のように私の視界から消えた。 最後まで、何も起こらなかった。 それから何年も経った今。 私は机の引き出しの奥から、一通の手紙を取り出す。 書いたけれど、出さなかった手紙。 宛名も、差出人も書いていない、あなたへの手紙。 紙は少し黄ばんで、文字もところどころ薄れている。 「元気ですか」 そんな、ありふれた言葉から始まる手紙を、 私は今も捨てられずにいる。 もう、届くことはない。 届かなくていい。 あの春の日。 ベランダから眺めていたあなたと、 夕日に照らされていた私。 それだけで、十分だった。 これは、恋だったのだろうか。 今なら、分かる。 ——きっと、恋だった。 ありがとう。

連載情報

ウェブ小説

配信言語
小説を読もう
小説を読もう2025/12/27
  • 現在の作品手紙