あらすじ
主人公は、ある日を境に「記憶が抜け落ちる感覚」と説明のつかない身体的不快感に悩まされ始める。眠ったはずの夜が丸ごと消え、代わりに口内の血の味や、噛み続けられるような異物感だけが残る。
やがて主人公は、夢の中で白い廊下に導かれる。そこには自分の名前が記された無数の引き出しが並び、内部には場面ではなく「歯」や「噛む音」といった断片的な痕跡が収められている。その空間は、記憶を保存する場所ではなく、忘れられなかった感情や役割を何度も噛み直し、再利用するための「反芻室」であることが示唆されていく。
現実世界では、主人公が言った覚えのない言葉や見知らぬ筆跡のメモが現れ、人格の境界が崩れ始める。忘れたはずの恐怖や怒りは消えておらず、消化されないまま主人公自身を媒介に生き延びているのだと気づく。
物語の終盤、主人公は「現在の私」と書かれた引き出しを開け、過去に押し付けられてきた無数の役割――黙る者、耐える者、消える者――を一斉に引き戻される。そこで明かされるのは、反芻室とは人格を解体・再構築し続ける処理場であり、記憶とは人を守るものではなく、食い尽くすものだという残酷な真実だった。
すべてを「覚えた」まま目覚めた主人公の頭の奥では、今もなお反芻の音が鳴り続けている。
噛み砕かれるまで終わらない、終わりのない現在として。