あらすじ
母の死をきっかけに、主人公はある期間の記憶を失っている。
それを自覚しないまま、彼は前に進むことを選び、
今では穏やかな日常を送っている。
ただ、夕暮れの匂いだけが、
ときどき名前のない感情を連れてくる。
かつて「妄想だ」と思い込んでいた彼女の存在。
顔も名前も思い出せないその女性は、
友人の話や映画の断片から作り上げた
理想の存在に過ぎないはずだった。
しかし、生活の中で起こる小さな違和感や、
第三者の言葉、そして同じ夕暮れの中ですれ違う後ろ姿が、
「何もなかった」と信じてきた過去を静かに揺らし始める。
失われた時間は、本当に空白だったのか。
それとも、思い出せないだけで、
確かに存在していたのか。
記憶を取り戻すことでも、
関係性を定義することでもなく、
ただ「残ってしまったもの」と共に生きる選択を描く、
静かな連作短編。
忘れられなかった感情に、
名前を与えずに寄り添う物語。