あらすじ
夏休み初日、紀伊野灯里(きいの あかり)は“教室の息苦しさ”から逃げるように家を飛び出し、眩しい昼の街で影だけを探して歩いた末に、あり得ない段差へ落ちる。目を覚ました先は、夜なのに暗くない森――黄昏樹海。甘い草の匂いと蜂蜜色の灯りの中で足を傷つけ、そこで出会ったのがルーチェリアの町で魔法薬の店を営む薬師・リタだった。リタは灯里を叱らない。まず手当てをし、陽だまり瓶で掌を温め、行くあてのない灯里を薬店へ連れ帰る。
灯里は「生き延びる」ために、リタの薬店で手伝いを始める。ラベル貼り、計量、客の応対――小さな仕事が積み重なるほど、灯里の身体はやっと息を思い出す。けれど、調合のたびに町の灯りがほんの少し薄くなる違和感に、灯里だけが敏感に気づいてしまう。この国では、魔法薬は“光の借金”で効く。借りすぎれば夜が長くなり、空気が冷え、作物が痩せる。救いの手が、世界を少しずつ削っていく。
薄明病が広がり、人々の笑顔が平らになっていく中、聖庁の採光監査官セレーネが来訪する。採光規定を守るほど救えない患者が増え、破れば町が冷える――板挟みのリタは、誰にも言えない借金を重ねてきた。さらに灯里に“例外”の兆しが現れる。灯里が心から笑った瞬間、灯りは薄くならない。むしろ温かくなる。希望は同時に欲望も呼び、セレーネは灯里を「規定外の変数」として保護名目で囲い込もうとする。
やがて落陽の泉の噂が現実味を帯びる。泉は“本当の願い”を思い出させる代わりに、“忘れたい記憶”を一つ奪うという。帰る道を探したいのに、誰かが救われるたび足が止まる灯里は、その泉の前で「帰る/残る」ではない第三の選択に触れていく。奪われてきたものを、町に返すために。自分の気持ちを、自分の言葉で言うために。