あらすじ
十月の終わり、世界では「後悔の季節」が始まる。三日間だけ、すべての人間の「もしもあの時」が実体化する ― 選ばなかった人生を生きる、自分のもう一人の影として。
三十二歳の橋本は、この現象が始まって以来十年間、一度も「もしもの自分」を見たことがなかった。人々が自らの選択と向き合う中、彼女だけが何も現れぬまま孤独に過ごしてきた。だが今年、ついにその日が訪れる。
オフィスの隅に立っていたのは、十歳の少女──絵本を抱えた幼い自分だった。橋本はすぐに悟る。あの子は、母に最後まで絵本を読んであげたはずの「もしもの自分」なのだと。十歳の時、病床の母の願いを途中で拒んだまま、母は翌日息を引き取った。その日から、彼女の心もまた止まっていたのだ。少女は言葉こそ持たぬが、静かに絵本を開いて読む仕草を見せる。橋本はその姿と向き合い、二十二年ぶりに本を手に取る。母がくれた『星の王女さま』――声に出して最後まで読み終えた時、少女の姿は少しずつ成長していき、やがて彼女と同じ年齢の女性となる。柔らかな笑みを浮かべ、「よくできたね」と唇を動かすと、光となって消えた。
翌朝、橋本の心には静かな安堵があった。母との思い出は痛みではなく、温もりとしてそこに在る。絵本の最後のページには、母が残した言葉があった。「あなたの人生も素敵な冒険になりますように」。後悔は消えない。けれど、受け入れることで人は前に進める。橋本はその本を胸に抱き、穏やかな笑みで新しい朝を迎える。