あらすじ
母の葬儀の夜、私は透明な虫を見た。体長三センチほどのガラスのようなそれは、母の日記の上に舞い降り、目に見えぬ霧を吸い込んで大きくなった。翌朝から、街のあちこちにもその虫が漂っているのを見た。人々の肩や頭の上で、透明な体を揺らしながら何かを食べている。やがて私は気づく——虫は人の「後悔」を食べていた。虫に食われた人々は心が軽くなり、穏やかな表情を取り戻すが、どこか感情の抜けた顔をしていた。
いつのまにか、母の後悔を食べた虫は私の後悔をも食べ始めた。罪悪感や悲しみが消え、心は静かに平坦になっていく。ミスをしても怒れず、友を傷つけても悔やめない。出来事の意味がわからなくなっていた。そんなある日、夢の中に知らない少女が現れる。目覚めて見つけた古い箱の中、写真の裏に「美咲と」とあった。幼い日の親友。しかしその存在の実感がない。探るうちに、私は忘れていた記憶と日記を見つける。十歳のあの日、公園での喧嘩、怒りのまま突き飛ばした美咲。池に落ち、帰ってこなかった美咲。私は彼女を殺したのだ。
虫はその記憶に群がり、後悔を食らって成長する。そして光の中で変貌し、美咲の姿となって現れた。彼女は私に触れ、失われた感情を返してくれた。あの日の恐怖、絶望、悔恨——全てが一瞬にして蘇り、私は泣き崩れた。しかしそれは束の間で、感情は再び霧のように消える。美咲は最後に言った。「あなたはもう、人間じゃない」。虫がすべての後悔を食べ尽くした今、私はもう何も感じない。罪を知りながら、罪悪感のないまま、後悔を食べられた人々と同じように、生きているのに空虚なまま、ただ世界を見ている。