あらすじ
江戸時代末期、世界が揺らぎ始めた長崎。
幕末の風が吹き荒れる中、港町の片隅――丸山遊郭では、人と妖(あやかし)が交わる夜が続いていた。
放浪の浪人・** 千早(ちはや)** は、過去を捨て、夢も名もなく漂う旅人。
ある夜、霧の中に浮かぶ丸山の灯に導かれるようにして遊郭にたどり着く。
香の煙と三味線の音に包まれたその場所で、彼は一人の遊女・** 紫苑(しおん)** と出会う。
白い狐の面をかぶったその女は、どこかこの世のものではなかった。
紫苑は、人々の“記憶”を喰らって生きる妖。
百年のあいだ、時代の移り変わりを見つめ続け、男たちの夢や欲望を糧に存在してきた。
しかし、千早に出会ったことで、彼女の心に“人の感情”が芽生え、記憶の層が崩れはじめる。
一方、長崎では坂本龍馬と勝海舟が時代の行く末を語らい、開国と維新の潮流を導こうとしていた。
だが、龍馬の背後には、人の形をした“もう一つの存在”――夢と理想を操る“影の龍
馬”が潜んでいた。
黒船の影が再び長崎に現れる頃、異国の使節に取り憑いた“幽霊”たちが人々の思想に感染し始める。
現実と幻、国家と理想、人と妖――その境が曖昧になっていく中で、勝海舟は未来の幻を見始める。
彼の夢の中には、焼け落ちる江戸、そしてかつて人であった千早の面影が見え隠れする。
やがて丸山を覆う炎の夜。
紫苑の正体が暴かれ、龍馬はこの国を動かしているのが“人の意志”なのか、“夢の呪
い”なのかを問う。
千早は紫苑を抱き、燃えさかる楼閣の中へと消える。
残された龍馬と海舟は、幻と現実のあわいを彷徨いながらも、時代の奔流へと身を投じていく。
長崎の空には、狐の面が浮かび、妖たちの夜会が再び始まる。
やがて千早は、自らも“幻の存在”であったことを知り、滅びゆく記憶の中で紫苑の面影を探す。
龍馬が京都へと旅立つ前夜、千早は夢の中で“もう一つの未来”を垣間見る。
そこでは龍馬が生き延び、紫苑は人間となり、二人は静かな海辺を歩いていた。
だが、それは決して訪れぬ未来――。
春。
丸山には新しい遊女たちが笑い、過去の幻を知る者はいない。
ただ、一枚の花弁が風に舞い、千早の記憶に触れて消える。
それは紫苑の最後の涙であり、人と妖、理想と滅びを織りなしたこの国の“美の記憶だった。