あらすじ
世界は静寂に満ちていた。
深く、暗く、あたたかい液体がゆらめく。
そこに並ぶ無数の培養槽。淡い青光に照らされた人影は、どれも似たように眠り、揺れ、呼吸だけを繰り返していた。
どの肉体にも、名はない。
番号。管理コード。稼働年数。耐久度。
それらだけが、この世界での“個”を示す。
彼らは、生まれたときから機械と繋がれている。
浮遊する栄養液の中で、脳と神経だけが休みなく働き続ける。
肉体は衰えない。筋肉は、電脳世界で行われる行動に合わせて微細に収縮し、鍛えられる。
——いつか富裕層がこの身体を“使う”ために。
電脳世界で動けば、ここでの筋肉が応じる。
電脳世界で走れば、リアルの筋繊維が形を変える。
電脳世界で死ねば——そのデータは即座に修正され、肉体はまた眠りへ戻される。
生涯を眠ったまま終える者も多い。
魂だけが電脳の街で日々を過ごし、肉体は“資産”として維持される世界。
その中心部。
モニタリングルームでは、黄金の義眼を模した監視AI《MIND EYE》が無数の心を読み取り、異常の芽を刈り取っていた。
——だが。
その監視の網を、すり抜けている脳がいくつか存在する。
デュアルマインド。
二つの思考回路を同時に走らせる能力。
脳容量200%の領域——“監視不能の場所”。
それが、遠い未来の反逆の火種になることを、
この時、誰も知らなかった。
培養槽の一つ——
番号《Y-28》の青年の瞼が、わずかに震えた。
その鼓動は、誰にも聞こえない。