あらすじ
西武新宿駅の改札を抜けると、夜はいつも同じ匂いがする。
湿ったアスファルトと、誰かの夕食と、終電を待つ人の焦りが混ざった匂いだ。
高田馬場へ向かう電車は、今日も特別な理由もなく滑り込んでくる。
乗客の半分はスマホを見て、残りの半分は何も見ていない。
窓に映る自分の顔だけが、やけに現実的だった。
下落合を過ぎて、沼袋が近づくころ、車内は少しだけ空く。
街が、選別を始める。
ここまで来る人間は、だいたい帰る場所が決まっている。
改札を出ると、北口の商店街はまだ生きている。
シャッターは半分、灯りは半分。
八百屋の蛍光灯、安い理髪店の赤青白、ラーメンの湯気。
昼にも夜にも所属しない時間が、この通りにはよく似合う。
角を一つ曲がる。
焼き鳥の煙が少し濃くなる。
自販機の音だけが、やけに大きい路地を抜ける。
その店は、いつも派手に主張しない。
看板は小さく、入口は低い。
中からは笑い声と、油のはぜる音と、何かを諦めたような沈黙が交互に漏れてくる。
引き戸を開けると、知った顔がもう一つ、先に座っている。
今日も誰も、すごい話は持っていない。
ただ、それぞれの「何もなかった一日」を、ここに置きに来ただけだ。
外では、また一本、電車が沼袋を素通りしていく。