あらすじ
魔王城、玉座の間
魔王≪ヒビキ・イ・テア≫は、華やかな座に腰を沈め、静かに扉を見つめる。
開けずとも、この目で見ずともわかる。
明らかな【強者】、有象無象とは格が違う。
彼女の有数の部下たちを薙ぎ倒し、数多の障壁を乗り越えて、一人の人間がこの部屋の目前まで迫っている。
扉が僅かに軋む。
音を立てて、彼と魔王を隔てる扉はゆっくりと押し開かれる。
「よくぞここまでたどり着いた、勇者よ。」
ドスを効かせた力ある声で、言葉で、魔王は勇者を労った。
分の細い喉からこれ程の圧が発せられることに、魔王本人も内心驚いていた。
勇者は一切の動揺を見せない。静かに、魔王の言葉を受け止めた。
腰のベルトから下げた2本の短刀に、全身を覆うボロ布。
それは、おとぎ話で見るような、華やかな姿ではない。
しかしそれでも、魔王にとって彼は紛れもなく【勇者】だった。
彼は誰も引連れず、たった一人で今、この魔王の玉座まで辿り着いたのだ。
足元には、魔王直属の部下たち。彼らも例外なく【強者】の筈である。
しかし、彼の前では塵芥に等しい。それほどまでの格の違い。
彼を【勇者】と呼ばずして、誰がその呼び名に相応しいだろうか。
魔王には、想像もつかない。
「世界を救う大義のためか。今は亡き愛する者の仇討ちか。ここに来るまで言い尽くせぬ動悸がお前の体を突き動かしてきたのだろう。」
玉座から腰を上げ、ゆっくりと立ち上がる。
2、3歩程、勇者の方へ歩み寄る。
「お前の前にいるのは、紛れもなく魔王。魔王ヒビキ・イ・テアである。ワレは逃げも隠れもせぬ。情けを捨て、邪念を捨て、ただ全力でかかってくるが良い……!」
今一度、力を込めて魔王は言い放った。その身から溢れる圧のみで、周囲の空気が震える。
しかし勇者はものともしない。そのボロボロのローブをはためかせ、腰の短剣に手を当てる。
そして────
回れ右してその場を後にした。
「……帰っちゃった……」
部屋には、力尽きた部下、そして魔王が取り残された。