あらすじ
アスファルトの熱気が夜になっても引かない、ある夏の盛り。
東京の喧騒と人間関係に疲れ果てた「僕」は、逃げるように海辺の古い借家へと身を寄せた。
目的はない。
ただ、死んだような時間を過ごすためだけに。
そんなある夜、僕は防波堤に佇む白いワンピースの女と出会う。
月明かりの下、陶磁器のように白く、作り物めいた美しさを持つ彼女。
「私は、夜のほうが好きだから」
彼女は鈴を転がすような声で笑い、僕の腕にそっと触れる。
その指先は、エアコンの効いたコンビニのアイスコーヒーよりも、ずっと冷たく、心地よかった。
彼女は語る。
この海に伝わる、人魚の肉を食べた村人たちの古い話を。 毎晩繰り返される逢瀬の中、僕の心は徐々に、彼女の持つ「底知れぬ暗い瞳」へと吸い寄せられていく。
彼女から漂うのは、生ぬるい潮風ではない。
甘く、濃厚な、死の匂い。
けれどそれは恐怖というよりも、今の僕には抗いがたい「甘美な痺れ」だった。
現実(東京)からの着信音が、虚しく鳴り響く夜。
彼女は僕の手を取り、囁く。
「一緒にいきましょう。向こうは、とても涼しいわ」
灼熱の現世か、氷のように冷たい異界か。
これは、孤独な魂が惹かれ合う、ひと夏の「心中」の物語。