あらすじ
交差点で轢かれそうになった女性、雪乃は、黒いスーツを着た見知らぬ男に助けられる。彼女は「隣町の神社で想い人に会う」と語り、男は危なっかしい彼女を心配して同行することに。
神社へ向かう道中、男が尋ねるたび、雪乃の語る“年齢”と“人生”は少しずつ変化していく。
十六歳の少女だったはずの雪乃は、いつしか二十三歳の新妻となり、三人の子の母となり、五十歳の熟年の妻となる。
雪乃の語る人生は、夫・周五郎との淡くも深い恋、貧しいながらも笑いの絶えない新婚生活、三人の子育て、家族の成長、そして夫の浮気疑惑──。
どこにでもある、しかしかけがえのない“家族の時間”が、雪乃の口から紡がれていく。
しかし、雪乃が語るたびに現在と過去は曖昧になり、ついに彼女は呟く。
「いったい、私は誰なのかしら?」
その瞬間、雪乃の耳から落ちた補聴器が真実を明らかにする。
男は実は息子、健太郎であり、そばにいた女は息子の嫁、郁子だった。
雪乃は認知症を患い、今日が「夫の元へ帰る日」だと信じ込んでいたのだ。
帰宅した雪乃を迎えるのは、成長し老いた子どもたち。そしてリビングには、百合の香りと線香の煙──夫、周五郎の眠るような死に顔だった。
長い長い時間を越えて、
雪乃の心だけは、
ずっと“想い人”を探し続けていた。