あらすじ

「俺、彼女が出来たんだ」 耳を赤く染め、はにかみながら涼太はそう言った。 その日は茹だるほど暑い日で、エアコンの付いていない涼太の部屋は、ドアを開けた途端に熱風が体にまとわりついた。 コンビニの袋からアイスを取り出して、口に入れたようとした時だった。 エアコンのスイッチを押しながら、涼太が報告してきたのは。 「……は?」 私は想定外の発言に、馬鹿みたいな言葉を漏らした。 次に思い浮かんだのは、冗談じゃない、という言葉だった。 ーー 私は、この5年間、涼太を好きだったっていうのに。 ◇◇◇ 涼太は、隣の家に住んでいる同級生の男の子だ。 親同士が仲が良くて、それがきっかけで仲良くなった。 出会った頃の私は髪が短くて、女っぽくなかった。だから、男友達みたいに気兼ねなく遊べたのが良かったんだと思う。 お互いの部屋に入り浸っては、漫画を読んだりゲームをしたり、一緒のベッドで寝ちゃったこともあったっけ。 この頃の私は、まだ涼太のことを気が合う友達としか思ってなかった。 関係が少し変わったのは、涼太がサッカーを始めてからだ。 その日から、涼太は毎日泥だらけになって帰ってくるようになった。 朝早く出掛けて、夜遅くに帰ってくる。 私達は遊ぶ頻度ががくっとさがった。 一方の私は特に何も習ってなくて、いつも部屋で漫画を読んだりして、取り留めもなく過ごしていた。 ぺらり、ぺらり 単行本のページを幾つかめくり、閉じる。 前は大笑いしていた漫画を読み返しても、あんまり笑えなくなった。 自然とため息が漏れる。 そのままベッドに、背中から思い切り倒れ込む。 あの頃はなんで、あんなに面白いと思っていたんだろう。 おーい!おーい 外から何かくぐもった声が聞こえてきて、私はベッドから起き上がる。 カーテンをそっと開けると、向かいの窓から涼太が手を振っていた。 慌てて窓を開くと、少し冷たい風が入り込んで、妙に体が強張った。 「涼太!どしたの?」 自分の声が変に上擦ってしまい、少し恥ずかしくなる。 いつもより心臓が速く動いている気がする。 なんだか変だ。 そんな私にきがつかず、涼太は笑いながら話す。 「いやー、最近サッカーばっかで茜と話してないなーって思ってさ。遅くに家行くと親がうるさいし、どうしようかなーと思ってたんだけど、そういや部屋隣だったなって思って」 名案じゃね?と笑う涼太は、全然かわってなくて、妙にほっとした。 「確かに!これでおしゃべり出来るもんね。そういえば、サッカーはどんな感じなの?」 「めっちゃ順調!こないださー」 涼太の楽しそうな顔が、声が、なんだか妙に眩しい。 胸の高鳴りは治らなくて、なんだかこそばゆい。 私は、さっきまで読んでいた漫画のセリフを思い出していた。 『好きだって自覚した瞬間、胸のドキドキが止まらなくて。世界がキラキラしてみえたの』 私の耳は、きっとあの漫画の主人公のように、真っ赤になっているにちがいない。 冷たいはずの風が、妙に心地よく感じた。 その日から、私達は窓越しの会話を楽しむようになった。 会話の中心は、涼太のサッカーや、漫画の話など。 色気も何もない、まるで男同士みたいは話。 それでも、涼太とほとんど話せなかった日々に比べたら、天国と地獄かってくらい、私には楽しくてしかたない日々だった。 1人でいる時間は、私は熱心に少女漫画を読み漁った。 いわるゆ初恋を自覚したものの、この後、何をどうしたらいいのかさっぱりだったのだ。 主人公の真似をして、可愛い仕草を鏡の前で練習してみたがしっくりこない。 漫画の主人公は、みんな長い髪で、女の子らしくて、私とは正反対だ。 私は大きくため息をつく。脳裏に浮かぶのは今日の放課後の出来事だ。 放課後、涼太が学校で男の子達と話しているのが聞こえてきた。 たまたま忘れ物をして、教室まで戻った時、聞こえてしまったのであって、決して立ち聞きしたわけではない。 彼らは、クラスのあの子が可愛いだの、どんな子が好きかだの、そんな事を話していた。 「涼太、お前はどんな子が好きなわけ?」 そんな質問が聞こえてきて、私は思わず身構えてしまう。 「あの、男女じゃないの?なんだっけ。大野茜だ!」 いつも鼻水をたらしている、阿保面の鈴木にそう言われ、思わず拳に力が入る。 だめだめ、今は出ていけない。 私は自分を鎮めるために、聞こえないように小さく深呼吸をする。 「うーん、てか、あんまり好みとかわかんないからなぁ。興味がないし」 さらりと答える涼太に、少しがっかりする。 知りたかったなぁとか、男女って言われた事を否定してよとか、色んな気持ちがぐるぐる巡る。 「じゃあ髪型!長いのと短いの」 阿保面がそう質問する。 涼太はひとしきり悩んだ後、長い方かなぁと答えた。 ただの好みの話、ただそれだけなのに。 私はなんだか振られたみたいな気がして、その場からしばらく動けなかった。 思い出しただけで、胸がずきりと痛んだ。 頭から追い出したくて、クッションを顔に押し当てて、あああと大声を出すと、苦しさで少し気がまぎれた。 乱れた息を整えながら、とりあえず、髪をまずは伸ばそうと決意する。 善は急げだ。 私は、お母さんに今日から毎日わかめを食べたいです、とお願いした。 次に私達の関係が少し変わったのは、私達が中学校一年生になった冬だった。 涼太は相変わらずサッカーに夢中だった。 元々才能もあったのに併せて、努力もあって、一年生にしてレギュラーを勝ち取っていた。 私は髪の毛が肩より下まで伸びたことと、恋愛指南書が漫画から、雑誌と友達の話に変わった。 「茜はさ、この色のリップが似合うと思うよ」 私の指南役事、一条梨々香はドラッグストアで私の顔にリップスティックをあてながら、提案していた。 「うん!やっぱり可愛い。似合うよ」 「ありがとう!梨々香先生〜」 私は梨々香にぎゅっとだきつく。 やわらかくて、女の子らしい甘い香りがする。 肌の色と似合うリップの色なんて、雑誌をみてもさっぱりな私にとって、梨々香は先生のような存在だった。 少女漫画から飛び出したような梨々香を先生にした私は、めきめきと垢抜けている……はずだ。 窓越しの会話は、中学校に入っても変わらなかった。 涼太の練習時間はぐっと伸びて、日によっては無くなる日もあった。 それでも、涼太は窓越しに声をかけてくれて、私はそれを見越して、自転車が停まる音がすると、梨々香に選んでもらったリップを塗って、前髪を鏡をみながら整えて、声がかかるのを待っていた。 その日は、涼太の自転車が停まる音がしなかった。 代わりに、いつもより早い時間に涼太の家に車が停まった音がした。 慌ただしく、何か喋っているような声が聞こえて、しばらくして何も聞こえなくなった。ドアが閉まったようだ。 何かあったのかな?と思いながらも私は、涼太から声が掛けられるのを待っていた。 いくら待っても、窓の外はしんと静まりかえったままだった。 涼太が大怪我をした。 そう聞いたのは、翌日の学校でだった。 同じクラスのサッカー部の子達が、そんな話をしているのが聞こえてきた。 「命に別状はないんだろ?」 「まぁな。でも、またサッカー出来るようになるのに、一年以上かかるかもって」 「それって、最後の試合に出れるかどうかってことか?まじか……」 梨々香が、私の方を心配そうにみているのがわかった。 でも、私は彼等から目を逸らせなかった。 もはや、彼等の話題は涼太から離れたいた。 けれど、目が、体が動かなかった。 毎日のように聞いていた、涼太の楽しそうな声。その中心にあった、涼太の大好きなサッカー。それが、出来なくなる? 笑い合っていた日々が、急に色褪せていった。 もう、あの部屋の窓は開かないんじゃないか?そんなあらぬ妄想が私のこころを蝕んでいった。 「涼太くん、しばらく入院するそうよ」 夕食の時間に、唐揚げを頬張ったところで、お母さんがそんなことを言うものだから、私は思わずむせてしまった。 あらあら、お茶飲みなさい。と差し出された冷たい麦茶を一気に流し込む。 しぬかと思った。 「涼太くんのこと、茜は知ってた?」 「学校で噂になってたよ」 涼太から連絡はこなかった。 一応メッセージアプリでは繋がっているのに。 届くメッセージは、お店の広告ばかりだった。 「ほら、3丁目にある白川総合病院あるじゃない?あそこに入院しているんですって」 そうなんだ、と頷きながら、味噌汁をすする。 何も連絡を貰っていない状態で、お見舞いっていっていいんだろうか、涼太嫌がらないかな等と考えていると、 「涼太くんのお母さんがね、涼太くんが塞ぎ込んでるから、よかったら茜にお見舞い来て欲しいって」 渡りに船だった。 「ここか……」 休日、私は白川総合病院を見上げていた。 手には持たされたお土産のフルーツゼリーに、花束。鞄の中には暇つぶしになるかなと漫画を数冊忍ばせてきた。 天気は快晴。神様はきっと私の味方にちがいない。 はーーーふーーーー。 病院に入る前に、大きく空気を吸い込んで、吐く。このお見舞いは、私にとっては非常に難しいミッションだ。 涼太は基本的に、いつも前向きで、笑顔が絶えないやつだ。 そんな涼太が、私に連絡もなく、みるからに元気がないらしい。 これは、異常事態だ。 サッカー部の子達の話を思い出せば、当然のことだった。 順調に登っていた階段が、急に崩れてしまったようなものだ。 私で考えたら、涼太に急に彼女ができてしまったようなものだろうか。 考えただけで、目の前が真っ暗になってしまい、私ははやく涼太に会わなければと急いで院内に入っていった。 「茜、きたんだ」 涼太の病室に入って、一言目の台詞がこれだった。 なんとなく、拒絶されたようなそんな気持ちになった。けど、今の涼太は辛い思いをしているんだから、そういう気持ちも受け止めないと。好きな人には無償の愛ってやつが必要だよね? 「うん、おばさんに言われて。普通に、心配だったし」 おばさんに言われたのは、言わない方が良かったかもと思いながら、私は持ってきたフルーツゼリーを渡す。 「これ、涼太の好きな桃もはいってるよ」 「……さんきゅ」 明らかに元気のない涼太に、私はわざとらしく明るく振る舞う。 「あと、これ!涼太の好きなギャグ漫画もってきた。読んでない新刊もあるよ」 私は漫画をじゃーんと言いながら、涼太にみせる。 涼太は、ありがとと呟いて、貼りついた笑顔をみせた。 その表情に、自分の顔が少し強張ったのがわかった。 (元気づけにきたのに、無理に笑わせて、私何してんだろ……) 涼太の表情をみて、途端に虚しくなってしまった。 何萎えてんだ私。違うだろ。私より、涼太の方が萎えてるんだから、なんとか元気づけないと。 私は必死に漫画のセリフを思い出す。 『私はそばにいるから』 『何でも言ってね』 『私はずっと貴方の味方だよ』 家で何度も練習してきた。漫画の主人公みたいに、微笑んで伝える、そして涼太は元気になる。 でも、実際の涼太をみると、そのどのセリフも似つかわしくないと思った。 きっと、セリフを言ったら、涼太は笑ってくれる。けど、それはさっきみたいに私のための笑顔だ。それは、なんか違うきがする。 私は、ベッド横の椅子にすわる。 涼太は、私の方に視線を向ける。 「涼太、サッカーのことは私わかんないけどさ」 「うん」 「頑張ってたのはわかってるから」 「うん」 「だから、正直、私もくやしい」 「……うん」 「……何言ったらいいかわかんない。悲しい」 「……なんで、茜が泣いてんだよ」 「わかんない、わかんないよ」 私は、いつのまにか涙が溢れていて、鼻水もでてきそうで、必死に堪えようとしたけど、無理だった。 涼太はそんな私をみて、貰い泣きしたわ、と呟いて、ぼろぼろ涙を流して、泣き出した。 私達は、しばらく何も話さなかった。 ただ、病室にはぐすぐすと鳴き声と、私の鼻を啜る音だけが響いた。 ぽつりと、くやしい、と小さく涼太が呟く。 私はそれに、うん、とだけ返した。 帰る頃には、二人とも目がパンパンに腫れていた。 元気づけるつもりが、めちゃめちゃ泣かせてしまった。 「じゃあ、またね」 何しにきたんだろう私は、と反省しながら部屋をでる。 「ああ、……ありがとな」 でも、帰り際にみた涼太の笑顔は、いつもの笑顔に戻っていたから、きてよかったのかもしれない。 涼太は退院してから、すぐにサッカー部を辞めた。 まだ最後の試合には間に合うかも、リハビリはもっと早く終わるかもしれないとか、いろんな言葉をかけられてた。 けど、長い期間、大好きなボールに触れられないし、自分のやりたいことを頑張れる仲間を応援するのって、結構辛いことだよなぁと私は思った。 だから、涼太の考えを尊重するよ私は。これって、漫画の主人公みたい?なんて。 退部してから、私と涼太はよく遊ぶようになった。 いままでの窓越しじゃなくて、どちらかの部屋で遊ぶようになった。 放課後、一緒に帰りにコンビニに寄って、どっちかの部屋でだらだらあそぶ。 もっと、青春ぽい事もできたかもしれないけど、私にはこの感じがちょうどいいなって思った。私たちが付き合う日がきても、こんな日々を続けたい。 涼太が部屋で寝てしまったことがあった。 ベッドに寄っかかりながら、口を半開きで、お腹の上に漫画を開いたまま。 私は涼太に近づいて、まじまじと観察する。 寝てるよね?寝たふりじゃないよね? 顔にふーーっと息をかけて、反応を見る。 うーーんと小さく唸ったけど、それ以降反応はない。うん、寝てる。 私は涼太にずいっと近づく。 黒小麦色に焼けた肌。 そして、半開きの唇に目がいく。 私たちがもし、付き合ったら、キスしたりするんだよね。そっと、自分の唇に触れる。 なんだか、いけないことをしてる気がして、私は涼太から離れる。 いかんいかん、こういう事をするのは、付き合ってからだ! この頃の私は、涼太と付き合う事を何故か確信していた。 そして、いつか涼太から呼び出されて、『前から好きだったんだ』と伝えられる事を毎日のように妄想していた。 それから、季節は変わり、夏になった。 でも、涼太は私に告白してくれなかった。 ……それどころか、彼女が出来たと報告してくれた。 私はもう、顎が外れるんじゃないかってくらい驚いた。 私、あなたの告白待ってたんですけど! 私を好きだったんじゃないの?! 「だ、誰と?」 心の中はいろんな感情で大洪水だったけれど、私は必死に冷静を装って、言葉を発する。 いったいどこのどいつが。 「同じクラスの橋本千佳。サッカー部でマネージャーしてる子」 「橋本、千佳、さん」 確かに、涼太の練習姿を見にいった時に、いた気がする。 女の子らしい、守ってあげたい系女子が。 「前から仲良かったんだけど、俺が退部してからよく話すようになってさ。告白されたんだ」 「そう、なんだ」 私はずっと涼太と一緒にいた気になってた。けれど、思えば涼太はサッカーをしてたし、クラスでの様子もしらない。 私が知ってた涼太は、放課後の数時間だけだったんだ。その事実に頭を殴られたかのように、強い衝撃として走った。 「うん。茜には話しておきたくてさ、ほら、茜って、俺の親友だからさ」 親友。 そっか、親友。 親友……かぁ。 私の中で、妙にストンと胸におちる。 それと同時に、抗えないような恥ずかしい気持ちが湧き上がってくる。 あんな、告白待ってますみたいなつもりでいたの、めちゃめちゃ恥ずかしい。 私は、この場から今すぐに逃げ出したかった。 でも、何も言わずに出て行くのは私の信条に反する。 私は、必死に笑顔をつくる。 「そうなんだぁ!おめでとう!」 早口で、私は祝いの言葉を述べる。 声が震えてもおかしくないのに、ちゃんと言えた自分に拍手してあげたかった。 自分で言った台詞のひとつひとつが、自分の胸を突き刺していって、とんでもない惨状なのに。 涼太はそんな私に気が付かない。 ありがとうと、はにかんで、アイスを頬張っている。 涼太の天然ぶりに、ここまで感謝したのは初めてかも知れなかった。 その後は何を話したのか覚えていない。 お気に入りのチョコレートアイスは、今日は何の味もしなかった。 「おじゃましましたー」 いつの間にか辺りは夕陽でオレンジ色に染まっていた。 外に出て、私はようやく息ができた気がした。 一人になった途端、鼻の奥がつんとして涙がじわりと滲んでくる。 それと同時に、こんな所ご近所さんに見られたら、流石にまずいかなと思ったりする。 ……失恋したときでさえ、妙に冷静な自分にうんざりする。こんな時くらい、気にせずないちゃえばいいのに。 ワイシャツの袖を引っ張って涙を拭い、私は重い足をひっぱって帰路についた。 お風呂で、ベッドの上で、私は悶々と涼太と彼女のことを考えてしまう。 考えれば考えるだけ、自分のHPが削られて行くのに、私の妄想は尽きない。 涙がじわじわと湧き出してきて、私は頭を振る。 せめて、前向きな妄想をしよう。 私は、二人が別れる妄想をすることにした。 悲しそうな顔の涼太は想像もしたくないから、涼太が私のことを本当はすきだったって気がついた設定にした。 妄想を繰り返しいくうちに、段々、涼太は結局私のところに戻ってくるんじゃない?と自己暗示に成功した。 おかげで、私はぐっすり眠ることにができた。 次の日、私はいつもより時間をかけて支度をした。そして、鏡に向かってにっこり微笑む。 昨日妄想で培った、自分を守るための心の鎧は朝起きたらまたなくなってしまっていた。 馬鹿みたいに泣きたい気持ちになって、また涼太に告白される妄想をする。 外見を涼太好みに整えて、前向きな想像をした。そうとう致死量の攻撃がこなければ、私は無事学校から生還できると思う。 よし、学校に行こう。鞄を持つ手にじわりと汗をかきながら、私は家の扉をひらいた。 途中まで、すごく順調だった。 梨々香とのおしゃべりも、いつも通りできたし、授業で当てられた時も、余裕ありげに答えることができたし、涼太の彼女を見かけた時も、なんとか普通にやり過ごすことができた。(内心は心臓が飛び出るかとおもったけど) 昼休み、涼太と彼女が渡り廊下で話してるのを見るまでは。 二人が話してる。それをみかけたとき、心臓が大きく跳ねた。どんどん速くなっていく鼓動に、私どうにかなっちゃうのかなって思うほどだった。 でも、大丈夫。今の私は強いんだから。 そう思っていた。確かに思っていた。 涼太の表情がみえるまでは。 涼太は、笑っていた。 でもその笑い方を、私は知らなかった。 耳を赤く染めながら、照れくさそうに笑う顔。 愛しいものをみるように、細めた目。 なにそれ、知らないんだけど。 根拠のなかった私の自信は一瞬で消滅した。 うん、無理だ。 私は、あの子に敵わない。 雑踏の音が、妙に頭に響く。 私は唇を噛み締めて、元来た道を引き返した。 ここにいたら、泣いてしまうから。 その日、私は学校を早退した。 どう考えても無理だった。このまま、学校にはいられなかった。 失恋をした。普通に授業中に泣いてしまうに違いない。 私のためにもクラスメイトのためにも、早退一択だ。 先生には、一人で帰りますと伝えて、自転車置き場にむかう。 自転車に鍵を差し込んで、まわす。 自転車に跨って、ゆっくり漕ぎ出す。 しんどいなぁ。これから、どうやって生きていこう。 私の5年越しの恋愛が、終わってしまった。 私の持ってる少女漫画はハッピーエンドしかなくて、こんな完膚なきまでに失恋した場合の対処法はわからない。 自分の部屋も、涼太との思い出でいっぱいだし、そもそも家が隣だし。学校も一緒だし。 どうやって傷ついた心を癒せるっていうのよ。 私は漕ぎながら、いらいらしてきた。 家に向かっていた自転車に急ブレーキをかけて、真逆の方向に走らせる。 座って漕いでいたのをやめて、立ち漕ぎにする。 思いっきり足に力を入れて、ペダルを漕ぐ。 坂道に入り、深呼吸をして、漕ぐ。 道路を覆う木々は、あたたかな木漏れ日をつくっている。 汗がどっと溢れ、背中につたう。 息がどんどんあがっていく。 はぁはぁと、自分の呼吸が耳障りに聞こえる。 心臓がどんどん苦しくなる。 風が、私に向かってびゅうびゅうと吹いてくる。こんにゃろう、負けてやらないんだからと、食いしばって、さらにペダルを強く漕ぐ。 気がつくと、高台まできてしまっていた。 ぱっと視界が開けて、眼下には私の住む街が広がっている。さらにその先には海が広がって、水面がキラキラと輝いている。 切れ切れとした息を整えながら、自転車からおりて、ガードレール近くまで歩いて行く。 だらだらと垂れた汗が、風が吹くたびにひやりと冷たくて、心地いい。 自然と、ため息が漏れた。 なんか、これで終わりなのかな。 私の5年間の恋って。なんか虚しくないか。 かといって、失恋するって分かりきってるのに告白するなんて、そんな高尚なこと私にはできっこない。涼太は絶対困るし、辛い顔させたくないし。 でも、なんか、嫌だ。 自分の気持ちを自分の中で溜め込んで、それで終わらせるのは。 私は、いつの間にか自分の足先をみつめていたのに気がついて、がばっと前に向き直す。 そして、大きく息をすって、叫ぶ。 「すきだった!!だいすきだったよーーーー!!!」 喉が擦り切れるぐらい、思い切り叫ぶ。 自分の気持ちも、叫ぶたびに擦り切れて、好きって気持ちがすこしでもなくなってくれと思いながら。 過去形で叫べば、もう好きじゃないって自己暗示できないかなとか。 色んな気持ちが交差しながら、私は叫び続けた。 とりあえず、頭がくらくらする程度には、声が出せた。一緒にばかみたいに涙もでてきたけど。 大きく深呼吸をして、大きくため息をつく。 しばらく、しんどいんだろうなぁ。 まぁでも、失恋てそういうもんなんだろうなぁ。しょうがない、うん。しょうがないよね。 それでも、ここに来るまでよりは、気分はマシになっていた。 家にそのまま帰っていたら、今頃ベッドで泣いていたと思う。 来てよかったな。 ……あとは、もう少しだけ、自己暗示をかけないと。5年間と、決別が必要だ。 翌週の月曜日、梨々香は大きな目を更におおきく開いて私に声をかけた。 「茜!髪、思い切ったねぇ」 「まぁね。似合うでしょ」 私は腰上まであった髪を肩上までばっさりきった。 「うん、似合う。でも、大丈夫?」 梨々香の大きな瞳は、少し不安げに揺れている。涼太に彼女が出来た話をどこかから聞いたのだろう。あとでちゃんと話さないと。 「うん、もう大丈夫」 実際のところ、まだ胸は痛むし、無理やり笑顔をつくってはいる。 涼太と会えない放課後は寂しくなるだろうし、切った髪にも後悔がないとはいえない。 だけど、そのうち傷は癒えるんだろう。 そうしたら、いつか、心から親友って言えたらいいな。 天を仰ぐと、眩しいくらい青い空が広がっていた。

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カクヨム
カクヨム2025/12/03
  • 現在の作品恋の始まり、恋の終わり