あらすじ
幼稚園ママの佐伯美冬は、ある朝いつもの門の前で、ママ友の及川沙織とその息子・蒼太を見かける。
ただひとつ違うのは——沙織の輪郭が、妙に“薄く”揺れていたこと。
「きのう、ママいなかったもん」
蒼太の一言をきっかけに、美冬の周囲で“昨日の沙織”が食い違い始める。
ある人の記憶では「夫と大ゲンカして実家に帰った」沙織。
別の人のタイムラインでは「イタリアンで友人とディナーしていた」沙織。
まるで、ひとりの女が二つの世界線に同時に存在しているかのように。
沙織は告白する。
自分には「蒼太が生まれた世界」と「陽菜が生まれた世界」があり、
どちらの子どもからも「ママ」を求められ続けていること。
どちらかを選ぶことは、どちらかを永遠に裏切ることだということ。
一方、美冬の夫・陽介もまた、「もしあのとき沙織と結婚していたら」という
“もうひとつの人生”を夜ごと強く観測し続けていた。
世界の揺らぎは、彼のささやかな逃避からも増幅していく。
やがて、蒼太は五歳の小さな心で、残酷な決断をする。
「ママは、陽菜ちゃんのところにいてあげて」と。
誰かが「この世界の沙織」を観測するのをやめたとき、
彼女はどちらか一方の世界に“固定”される。
その代償として、片方の世界からは「最初からいなかった人」になる。